子供の頃、父方の田舎で過ごした夏の思い出。
普段はすっかり忘れていたが、昨晩ふと記憶が蘇り、胸が締めつけられるように切なくなってしまった。誰かに話しても信じてもらえないだろうから、ここに書き留めておくことにする。
話の中心は、幼い頃に田舎で出会った女の子だ。名字も本名も知らないが、私は彼女を「うーちゃん」と呼んでいた。
小さな頃から中学生になるまで、ほぼ毎年の夏休みは、父の実家のある海辺の村で過ごした。親に連れられて田舎に行き、数日後には両親が帰京、私と弟だけが残り、お盆が近づくとまた迎えに来る、そんな流れが毎年続いていた。両親にとっても、海で毎日遊べる私たちにとっても、便利で楽しみな夏休みだった。
田舎には従兄弟や近所の子供たちがいて、最初のうちはみんなで遊ぶのが楽しかった。けれど、年が進むにつれ、従兄弟は少し年上、他の子供たちは年下で、また男子が多かったこともあって、私は徐々に一緒に遊ぶのが難しくなっていった。弟はそのまま遊び仲間に溶け込み、私は祖父母の仕事を手伝ったり、時には一人で過ごすことが増えていった。
そんなある日、暇を持て余した私は、夕方にふらりと村を散歩していた。村のほとんどが親戚筋というほど小さな集落だったから、新しい発見もなく、少し自分が孤立しているような気持ちになり、つい涙ぐんでしまった。誰かに見られるのが恥ずかしくて、私は人気のない脇道に入る。そこには小さな神社があり、ひっそりと寂れた雰囲気を醸していた。
その神社の裏に隠れようとすると、すでにそこには先客がいた。短い髪に日に焼けた肌で、初めは男の子かとも思ったが、女の子だった。これが「うーちゃん」との出会いだ。
うーちゃんは私の手を握り、涙の理由を聞いてくれた。初対面の相手に泣き顔を見られるのは恥ずかしかったが、彼女は「誰にも言わないよ」と優しく微笑んでくれた。私は泣きながら、うーちゃんに話を聞いてもらった。
その後、私はうーちゃんと何度も会うようになり、いつも二人でおしゃべりをしていた。東京の話をすると彼女は驚いたり、不思議がったりしたが、私はただの地元の子だと思い込んでいた。彼女が村の子供たちとは少し違う話し方や、感覚を持っていることにはあまり気がつかなかった。
小学生の間、私は夏休みにうーちゃんに会い続けた。とても楽しかったが、いつしか別れの時が近づいていることを感じ始めた。最後に会えたのは小学校六年生の夏。私はその時の別れが永遠のものになるのではないかと感じ、うーちゃんにもそのことを伝えた。
うーちゃんは驚いた様子も見せず、いつもと同じように微笑んでくれた。その時、私はほんの少しだけ拍子抜けしてしまったが、うーちゃんと最後の時間を二人きりで過ごし、彼女が手を握ってくれたその感触は今も忘れられない。彼女の体は妙に熱く感じられたが、気持ちを込めたその温かさが伝わってきて、不思議と安心できた。
中学生になると、部活などもあって夏休みに田舎へ行くことも少なくなり、気づけばうーちゃんに会うこともなくなっていた。年月が過ぎる中で彼女の存在は忘れてしまっていたのだが、昨夜ふと夢の中で、うーちゃんと再会した。夢の中で、彼女は当時の姿のまま、穏やかに私を抱きしめ、「大好きだったよ」と言ってくれた。
目が覚めた後、うーちゃんのことがあまりにも懐かしく、切ない気持ちに襲われた。あれは私の想像が生み出した友達だったのかもしれないし、あるいは何か別の存在だったのかもしれない。ただ、あの時のうーちゃんの微笑みや、手の温かさを鮮明に覚えているのは確かだ。
結局、うーちゃんの正体はわからないままの話になってしまった。信じるか信じないかはお任せするが、これは私の大切な思い出であり、心に残る不思議な記憶だ。
[出典:1 :本当にあった怖い名無し:2013/06/18(火) 15:40:28.00 ID:6gQR8WRP0]