人類はどこへ向かうのか?という問いに対する答を生態学から探求しようという試みとして、過去にとても面白い実験が行われた。
動物の特定の種の個体数はどのように決まるのか。
たいていの場合、動物は捕食者と被食者の関係性「食物連鎖(食物網)」によって生態系が形づくられ、種の「人口(個体数)」が決定される。
では、捕食者である「天敵」のいない、ある意味「パラダイス」ともいえる環境では、動物はどうなるのか?という、マウスを使った一連の実験が1960年~1970年にかけて行われた。
種の個体数は無制限に増え続けるのか?
パラダイスでの動物社会はどのような発展をとげるのか?
この実験は、「天敵」のいない人類の行く末を占う手がかりともなるものであった。
そのなかでも特に有名な実験は、動物行動学者:ジョンB.カルフーンによって行われた「Universe 25」である。
[Journal of Royal Society of Medicine p80-88]
もしマウスに食料や水を充分に補給し、病気を予防して天敵のいない環境に住まわせたら、どのように個体数が増え、どのような行動パターンによって社会を作り上げてゆくのか?
「Universe 25」は、まさにそのような環境を整え、大規模な、そして人工的な「世界」を造り上げ、そこにマウスを放つという実験であった。ジョンB.カルフーンは5年を越える期間にわたって何世代ものマウスを観察し続けた。
適切な気温と湿度を保たれた室内に、2.57メートル四方の大きなケージを設置し、健康なマウスのつがい4組(21日齢)を入れたところから実験は始まった。
第1フェーズ:個体の増加
ケージ内は、15匹のマウスを楽に収容できる巣作りスペースが256個用意されていた。
過ごしやすいこの空間では、ネズミの個体数は倍々で増え続け、約7ヶ月後には、親マウスは150匹、子どもは470匹ほどに増加していた。
ところが、それ以降、増え方はゆっくりとなりはじめ、マウスの行動パターンに予想外の不自然な変化が見られるようになる。
第2フェーズ:社会構造と正常な社会行動の崩壊
315日目から600日目の間には社会構造と正常な社会行動が崩壊していることが判明した。
行動上の異常としては、子離れの前に子を追い出したり、子の負傷の増加、同性愛行動の増加、支配的な雄が縄張りと雌の防衛を維持できなくなる、雌の攻撃的な行動、防衛されることのない個体間攻撃の増加と非支配的な雄の無抵抗化、などがある。
マウスの中に格差が出来き、支配するものと支配されるものとに分かれはじめた。
マウスは本来「テリトリー(なわばり)」をもっており、縄張り行動によって他の個体とのコミュニケーションをはかり、「規律」ある生活をするのだが、増加率が低下する頃から次第にテリトリーをもたないマウスがでてきた。
ネズミ同士で争いを始め、ボスになろうとする権力闘争が起きるようになった。
2世や3世の新たに生まれた子ネズミも、成長すると争いをするようになった。
こうしてボスになったネズミはゆったりと空間を利用することができ、ボスに囲われたメスは子煩悩になり、子ネズミの世話を良くしていた。
明らかにゆったりと生活している個体13匹(支配者)と、それ以外の、窮屈に生活している大多数の個体(被支配者)に別れた。
※ここでの出産後の子ネズミの死亡率は50%に保たれていた。
争いに負けて窮屈に暮らすネズミたちは一斉に餌を食べに行くようになり、同じ時間に眠りにつくようになり集団行動するようになった。
本来ネズミは1匹で活動するだが、1匹で餌を食べているネズミはどこか不安そうで、やがて多数のネズミと行動を共にするようになった。
ここで暮らすオスは、性別を問わず無差別に強姦してしまう。
メスは巣作りがうまくできず、子育てもできず、産んだ子供を運ぶときに落としてしまい、ほかのネズミに食べられたりした。(餌はたくさんあるにもかかわらず……)
※ここでの出産後の子ネズミの死亡率は90%。
第3フェーズ:絶滅へのカウントダウン
体数は絶滅に向けて減少していった。この時期には雌は繁殖をやめていた。
同時期の雄は完全に引きこもり、求愛動作、戦闘を行うことはなく、健康のために必要なタスクだけに従事した。
食べる、飲む、寝る、毛づくろいをするなど - すべて孤独な作業として、である。
このような雄はつやつやとした傷のない健康的な毛並みが特徴的で、「ザ・ビューティフル・ワン」と呼ばれた。
引きこもりマウスは積極的に他の個体と関わるのを避け、また他のマウスからも相手にされなくなったが、ときには他の仲間に対して悪質な攻撃を仕掛けることもあった。
交配や社会への関与を拒否したネズミは、ギャングを形成して略奪などを繰り返すようになった。
繁殖行動は再開されることはなく、行動パターンは永久に変わってしまった。
また、テリトリーをもたないメスも、ふつう避けるはずの高いエリアに引きこもり状態となり、子どもをつくることもなく、ただただヒッキーとして暮らすようになった。
引きこもり以外のマウスはどうなったか。
マウス社会では、通常テリトリーを守るのはオスの役割であり、子どもを守り育てるのはメスの役割である。ところが、この段階になるとメスがオスの役割を引き継ぐようになった。メスもテリトリーを守る社会的行動に出て、他の個体を攻撃するようになり、次第にその攻撃性が子どもにまで向かうようになってしまったのである。
子どもは母親から攻撃され、傷つき、本来の巣離れよりも早く巣を出ることを余儀なくされる。追い出された子どもは、多くの場合結局「引きこもり」マウスになってしまうのだった。
本来、メスは危険を察知すると子どもを守るための行動をとり、安全な場所へ子どもを運ぶものである。しかし、この社会発達段階の母マウスは、なぜか運んでいる途中で子どもを落としてしまったり、または子どもを無視して自分だけが移動したりするようになった。見捨てられた幼いマウスのほとんどはそのまま放棄され、最後には他のマウスに食べられてしまうのだ。
以上のような生育の異常だけではなく、妊娠率も下がり、また流産率が上がるなど、マウス全体の出生率が急激に低下していった。
「テリトリー」をもたないオスの行動は、ますます異常になっていった。
マウス社会での求愛行動は決まっており、自然界のマウスはそのルールに従って行動する。オスのマウスは気に入ったメスがいると後を付いてゆき、メスが自分の巣に入ると、その入り口付近で求愛行動をとりながらメスが出てくるのを待つ。
ところが求愛ルールを無視したオスが増え始め、メスが巣に入るとその後を付いて一緒に入ってしまうという「ストーカーマウス」が登場する。
また、成熟していないメスに交尾行動をとったり、オスに交尾行動をとる異常なマウスも出現し始める。
560日が経ったとき、突然のようにマウス人口増加が止まる。
乳児の死亡率は急増し、社会の高齢化が急速に進むなか、とうとう600日目に出生の数を死亡数が上回る。
920日目に最後の妊娠が確認されたが、生まれることはなかった。
その後も生き延びた高齢化したマウス122匹(メス100、オス22)は、
1780日目には遂に最後のオスが死亡。
その後、生き残ったメスたちは地獄の「パラダイス」から救出され、他の健康なマウスと一緒に暮らすことになる。
しかし生き残りのマウスたちは他のマウスと関わることなく、余生を精神を病んだまま過ごし孤独に死んでいったという。
この実験は25回行われており、その全てで同じ結果となった……