中学時代からの友人、ジョンのことを思い出すと、なぜか夏の湿気を思い出す。
アメリカ南部生まれの彼は、幼い頃から信仰の中に育った。日曜ごとに家族全員で礼拝に行くのは当たり前。熱気と讃美歌と祈りの声が混ざる、あの空間が生活の一部になっていた。
けれど、ジョンはその礼拝が大嫌いだった。理由は、彼が子どもの頃から口にしていた一言で説明できる。
「上から見られてるんだ」
天井よりもずっと高い場所。空のはるか上、目に見えない高さから、誰かがこちらを凝視している。
その視線は、ひどく威圧的で、息を詰めるほどに厳しい。警官や教師にじっと見られた時の不快感を十倍にしたような視線が、礼拝の間じゅう降り注いでくるというのだ。
冷たい汗が背中を伝い、指先がわずかに震える。歌詞も祈りの言葉も耳に入らない。ただ「見られている」という感覚だけが、全身を支配していく。
何度も両親に訴えた。カウンセラーにも通った。それでも感覚は薄れない。
年を重ねてもその「上の視線」は消えなかった。だから、彼は教会から足を遠ざけるようになり、やがて故郷を離れた。
信仰を口にすることをやめ、無神論者のふりをして生きるのは、彼なりの逃げ方だった。
そんなジョンが日本に来たのは、数年前のことだった。
出張で、東京のある町に滞在していた。早めに仕事が片付き、午後の時間がぽっかりと空いた。
湿気を含んだ熱気が肌を刺す。見慣れない街並みを歩くうち、緑に囲まれた一角に出た。地図にも載らないような小さな公園らしかった。
額から汗が落ちる。木陰のベンチを見つけて腰を下ろした瞬間、ふっと冷たい風が頬を撫でた。
深く息を吐き、目を閉じる。
……その時、すぐ横に「何か」がいる気配に気づいた。
大きい。息をしているのがわかる。
犬のような、いや、それ以上に大きな生き物が地面に身を横たえ、ゆったりと呼吸しているようだった。
だが、こちらを見ているわけではない。敵意もない。まるで、古くからの友人が隣に腰を下ろして、黙って涼しい影を分けてくれているような感覚だった。
ジョンは後に「すごく大きな犬を思い浮かべた」と言った。
あの教会の上から見下ろす存在とは、似ているようで決定的に違う。
あちらは全身を凍らせるほどの厳しさで見つめてきたが、こちらはただ「暑いだろう、休め」とでも言いたげな、のんびりとした気配。
すると、不思議なことに、額を流れていた汗が急速に引いていった。
目を開けると、視界に白い建物が入った。小さな社だった。
入り口の左右には石の像が立ち、狐の顔がこちらを向いていた。
鳥居の赤が、湿気を含んだ緑の中でやけに鮮やかに見えた。
それが御稲荷様だと知った時、ジョンは人生がひっくり返るような衝撃を受けたという。
「冷たく厳しく睨んでくるものしかいないと思っていたのに、優しく寄り添ってくれる存在に出会った。しかも、よそ者の僕を初めから知っているかのように迎えてくれた」
そう語る時の彼は、まるで少年のような表情をしていた。
それからジョンはすぐに再び日本に来た。
以来、彼は長い休暇が取れるたび、全国の神社や寺を巡っている。
不思議なことに、この国ではまだ一度も「あの厳しい視線」に出会っていないそうだ。
……ただ、去年の夏、再び東京に来た彼と会った時、ひとつ気になることを聞いた。
あの公園の社に行こうとしたら、場所がわからなかったという。
地図を見ても、何度歩いても、あの日の木陰も、赤い鳥居も、どこにもなかった。
「でも、あれからずっと、時々そばにいるんだ」
彼は笑った。
「犬みたいに静かに寝そべって、風を送ってくれる……。もしかしたら、あの時からずっと、僕の後ろについて来てるのかもしれない」
ジョンの背後に、確かに空気の揺らぎがあった。
真夏の熱気の中、そこだけ涼しい風が流れていた。
[出典:42 :名無しさん:2015/05/03(日) 03:24:00.09 ID:G8/GcTjL.net]