私が中学生だった頃一人の友達を亡くしました。
表向きの原因は精神病でしたが、実際はある奴等に、憑依されたからです。
私にとっては忘れてしまいたい記憶の一つですが、先日古い友人と話す機会があり、あのときのことをまざまざと思い出してしまいました。
ここで文章にすることで、少し客観的になり恐怖を忘れられると思いますので、綴ります。
私たち(海藤・設楽・須藤・菊地・私)は、皆家業を継ぐことになっていて、高校受験組を横目に暇を持て余していました。
学校も、私たちがサボったりするのは受験組の邪魔にならなくていいと考えていたので、体育祭後は朝学校に出て来さえすれば、後は抜け出しても滅多に怒られることはありませんでした。
ある日、友人海藤と設楽が、近所の屋敷の話を聞いてきました。
改築したばかりの家が、持ち主が首を吊って自殺して一家は離散、空き家になってるというのです。
サボった後のたまり場の確保に苦労していた私たちは、そこなら酒タバコが思う存分できると考え、翌日すぐに昼から学校を抜けて行きました。
外から様子のわからないようなとても立派なお屋敷で、こんなところに入っていいのか少しびびりましたが、海藤と設楽は「大丈夫」を連発しながら、どんどん中に入って行きます。
既に調べを付けていたのか、勝手口が空いていました。
書斎のような所に入り、窓から顔を出さないようにして、こそこそ酒盛りを始めました。
でも大声が出せないのですぐに飽きてきて、5人で家捜しを始めました。
すぐ須藤が「あれ何や」と、今いる部屋の壁の上の方に気が付きました。
壁の上部に、学校の音楽室や体育館の放送室のような感じの小さな窓が二つついているのです。
「こっちも部屋か」
よく見ると壁のこちら側にはドアがあって、ドアはこちら側からは本棚で塞がれていました。
肩車すると、左上の方の窓は手で開きました。
今思うと、その窓から若干悪臭が漂っていることに、そのとき疑問を持つべきでした。
それでもこっそり酒を飲みたいという願望には勝てず、無理矢理窓から部屋に入りました。
部屋はカビホコリと饐えたような臭いが漂っています。
雨漏りしているのか、じめっとしていました。
部屋は音楽室と言えるようなものではありませんでしたが、壁に手作りで防音材のようなものが貼ってあり、その上から壁紙が貼ってあることはわかりました。
湿気で壁紙はカピカピになっていました。
部屋の中はとりたてて調度品もなく、質素なつくりでしたが、小さな机が隅に置かれており、その上に真っ黒に塗りつぶされた写真が、大きな枠の写真入れに入ってました。
「なんやこれ、気持ち悪い」と言って、海藤が写真入れを手にとって持ち上げた瞬間、額裏から一枚の紙が落ち、その中から束になった髪の毛がバサバサ出てきました。
紙は御札でした。
みんなヤバと思って声も出せませんでした。
顔面蒼白の海藤を見て、設楽が急いで出ようと言い、逃げるように設楽が窓によじ登ったとき、そっちの壁紙全部がフワッとはがれました。
写真の裏から出てきたのと同じ御札が、壁一面に貼ってありました。
「何やこれ」
酒に弱い須藤は、その場でウッと反吐しそうになりました。
「やばいてやばいて」
「吐いてる場合か急げ」
よじのぼる設楽の尻を私と菊地でぐいぐい押し上げました。
何がなんだかわけがわかりませんでした。
後ろではだれかが「いーーー、いーーー」と声を出しています。
きっと海藤です。
……祟られたのです。
恐ろしくて振り返ることもできませんでした。
無我夢中でよじのぼって、反対側の部屋に飛び降りました。
菊地も出てきて、部屋側から鈍い須藤を引っ張り出そうとすると、
「イタイタ。引っ張んな足!」と須藤が叫びます。
部屋の向こうでは海藤らしき声が、わんわん変な音で呻いています。
須藤はよほどすごい勢いでもがいているのか、須藤の足がこっちの壁を蹴る音がずんずんしました。
「設楽!かんぬっさん連れて来い!」
後ろ向きに菊地が叫びました。
「なんか海藤に憑いとる!裏行って神社のかんぬっさん連れて来いて!」
設楽が縁側から裸足でダッシュしていき、私たちは窓から須藤を引き抜きました。
「足!足!」
「痛いか?」
「痛うはないけど、なんか噛まれた」
見ると、須藤の靴下のかかとの部分は丸ごと何かに食いつかれたように丸く歯形がついて、唾液で濡れています。
相変わらず中からは海藤の声がしますが、怖くて私たちは窓から中を見ることができませんでした。
「あいつ俺に祟らんかなぁ」
「祟るてなんや、海藤はまだ生きとるんぞ」
「出てくるときめちゃくちゃ蹴ってきた」
「しらー!」
縁側からトレーナー姿の神主さんが真っ青な顔して入ってきました。
「ぬしら何か!何しよるんか!馬鹿者が!」
一緒に入ってきた設楽は、もう涙と鼻水でぐじょぐじょの顔になっていました。
「ええからお前らは帰れ。こっちから出て、神社の裏から社務所入って、ヨリエさんに見てもらえ。あと、おい!」
と、いきなり私を捕まえ、後ろ手にひねり上げられました。
後ろで何かザキっと音がしました。
「よし行け」
そのままドンと背中を押されて私たちは、わけのわからないまま走りました。
それから裏の山に上がって神社の社務所に行くと、中年の小さいおばさんが白い服を着て待っていました。
めちゃめちゃ怒られたような気もしますが、それから後は逃げた安堵感でよく覚えていません。
それから海藤が学校に来なくなりました。
私の親が神社から呼ばれたことも何回かありましたが、詳しい話は何もしてくれませんでした。
ただ、山の裏には絶対行くなとは言われました。
私たちもあんな恐ろしい目に遭ったので、山など行くはずもなく、学校の中でも小さくなって過ごしていました。
期末試験が終わった日。生活指導の先生から呼ばれました。
今までの積み重ねまとめて大目玉かな、殴られるなこら、と覚悟して進路室に行きました。
すると私の他にも設楽と菊地が座っています。神主さんも来ていました。生活指導の先生などいません。
私が入ってくるなり神主さんが言いました。
「あんなぁ、須藤が死んだんよ」
信じられませんでした。
須藤が昨日学校に来ていなかったことも、そのとき知りました。
「学校さぼって、こっちに海藤の様子を見にきよったんよ。病院の見舞いじゃないとやけん、危ないってわかりそうなもんやけどね。裏の格子から座敷のぞいた瞬間にものすごい声出して、倒れよった。駆けつけたときには、白目むいて虫の息だった」
須藤が死んだのにそんな言い方ないだろうと思って、ちょっと口答えしそうになりましたが、神主さんは真剣な目で私たちの方を見ていました。
「ええか、海藤はもうおらんと思え。須藤のことも絶対今から忘れろ。アレは目が見えんけん、自分の事を知らん奴の所には憑きには来ん。アレのことを覚えとる奴がおったら、何年かかってもアレはそいつのところに来る。来たら憑かれて死ぬんぞ。それと、後ろ髪は伸ばすなよ。もしアレに会って逃げたとき、アレは最初に髪を引っ張るけんな」
それだけ聞かされると、私たちは重い気持ちで進路室を出ました。
そのとき神主さんは、私の伸ばしていた後ろ毛をハサミで切ったのです。
何かのまじない程度に思っていましたが、まじないどころではありませんでした。
帰るその足で床屋に行き、丸坊主にしてもらいました。
卒業して家業を継ぐという話は、その時から諦めなければいけませんでした。
その後私たちはバラバラの県で進路につき、絶対に顔を合わせないようにしよう、もし会っても他人のふりをすることにしなければなりませんでした。
私は一年遅れて隣県の高校に入ることができ、過去を忘れて自分の生活に没頭しました。
髪は短く刈りました。しかし、床屋で『坊主』を頼むたび、私は神主さんの話を思い出していました。
今日来るか、明日来るか、と思いながら、長い三年が過ぎました。
その後、さらに浪人して、他県の大学に入ることができました。
しかし、少し気を許して盆に帰省したのがいけませんでした。
もともと私はおじいちゃん子で、祖父はその年の正月に亡くなっていました。
急のことだったのですが、『せめて初盆くらいは帰ってこんか』と電話で両親も言っていました。
それがいけませんでした。
駅の売店で新聞を買おうと寄ったのですが、中学時代の彼女が売り子でした。
彼女は私を見るなりボロボロと泣き出して、設楽と菊地がそれぞれ死んだことをまくし立てました。
設楽は卒業後まもなく、下宿の自室に閉じこもって首をくくったそうです。
部屋は雨戸とカーテンが閉められ、部屋じゅうの扉という扉を封印し、さらに自分の髪の毛を、その上から一本一本几帳面に張り付けていたということでした。
鑞で自分の耳と瞼に封をしようとした痕があったが、最後までそれをやらずに自害したという話でした。
一七の夏に四国まで逃げたそうですが、松山の近郊の町で、パンツ一枚でケタケタ笑いながら歩いているのを見つかったそうです。
菊地の後頭部は烏がむしったように髪の毛が抜かれていました。
菊地の瞼は閉じるのではなく絶対閉じないようにと、自らナイフで切り取ろうとした痕があったそうです。
このときほど中学時代の人間関係を呪ったことはありません。
設楽と菊地の末路など今の私にはどうでもいい話でした。
つまり、アレを覚えているのは私一人しか残っていないと、気づかされてしまったのです。
胸が強く締め付けられるような感覚で家に帰り着くと、家には誰もいませんでした。
後で知ったことですが、私の地方は忌廻しと云って、特に強い忌み事のあった家は、本家であっても初盆を奈良の寺で行う、という風習があったのです。
私は連れてこられたのでした。
それから三日、私は三十九度以上の熱が続き、実家で寝込まなければなりませんでした。
このとき私は死を覚悟しました。
仏間に布団を敷き、なるだけ白い服を着て、水を飲みながら寝ていました。
三日目の夜明けの晩、夢に海藤が立ちました。
海藤は骨と皮の姿になり、黒ずんで、白目でした。
「お前一人やな」
「うん」
「お前もこっち来てくれよ」
「いやじゃ」
「須藤が会いたがっとるぞ」
「いやじゃ」
「おまえ来んと、須藤は毎日リンチじゃ。逆さ吊りで口に靴下詰めて蹴り上げられよるぞ、かわいそうやろ」
「うそつけ。地獄がそんな甘いわけないやろ」
「ははは……地獄か、地獄ちゅうのはなぁ」
そこで目を覚ましました。
自分の息の音で喉がヒイヒイ音を立てていました。
枕元を見ると、祖父の位牌にヒビが入っていました。
私は考えました。
アレを知っているのは、この世で私ただ一人。
アレの話をして多くの人が知れば、アレが私を探し当て憑依される確率は下がるのではないか……
それがこの話を公開するに至ったきっかけです。
アレのことを知ってしまったあなたに憑依してもらえば、私は長生きできるのですから……
(了)