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さんりんぼう信仰【ゆっくり朗読】5400

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うちの親父は水道技術者なので特に夏場は忙しく、どこにも連れてって貰えない

2003/06/22 00:19

なので、親戚の家に十日位泊るのが小学生の頃の夏休みの恒例だった。

ある時、叔父さんに卵、キュウリ、トマトを親しくしている家に届けるのを頼まれ、「留守だったら小縁に置いて来ればいいから」と言う事で出かけた。

叔父さん家と親しいとはいえ俺はよく知らない家なので、粘らず留守と判断して置いて帰ろうとした時、婆さんがでっけぇ鎌振り上げながら

「お前、家に何の恨みあるんだ!」と激怒しながら突進してきた。

結局~の甥っ子ですと言うことで小遣いまで貰ったが、唯一覚えていたのが

『さんりんぼう』

家に帰り母親にこの話したら、

「さんりんぼうと間違われたんだよ」と笑っていた。

『さんりんぼう』とは、『さんりんぼう』の日にナマモノで儀式をして、そのナマモノを標的の家の敷地に置いて、見つからずに腐るとその家が廃れると言う、マイナー伝統呪術だった。

見つかりやすそうな所ほど効果大らしい。

その後

「あの家はさんりんぼう筋と言われてるんだよ」とか、

留守に置いてきた時は、一応電話で

「さんりんぼうじゃ無いよ」

と電話を入れる事を話してくれた。

田舎は犯罪少なくて最高とか思っていたが、こんな薄気味悪いものがひっそり残ってる事と、鎌でやられてたかも知れない事に恐怖を覚えた。

三隣亡の民俗信仰

三隣亡除け焙烙(ほうろく)

群馬から埼玉にかけて、三隣亡を祀る家と、その家を排除する風習があり、その家を恐れた周りの家は、呪力を除ける、という意味で、鍾馗様を描いたプレート(焙烙)等をその家の方向に向かって掛けるということがあったという。

ちなみに、祀る家の方の実態は、今もよく分からないのだそうだ。

ただ、そういうプレート等の方向を調べていくと、どうやらあの家が、と推測されるらしい。

言ってみれば、この三隣亡を巡る風習と信仰は、今も生きているところがあるわけで、つまり、その排除の構造もまだ生きている、ということになる。

 

玉村町の三隣亡信仰


三隣亡除けには、猿田彦の碑をたてて、三隣亡を信仰している家の方に向けておくとよい。

隣近所の財産をかきあつめて一代だけ栄えるという。

三隣亡は三代持たないという。

餅、赤飯を、信仰している人がほしい田んぼに埋めておく。

腐らないうちに持ち主に見つかればきかない。

三隣亡の日に餅をもらったら倍にして返さなくてはいけない。

 

三隣亡の家系

群馬南西から埼玉西北部にかけて古くからある三つの怪は

『三隣亡の家系』『オオサキ持ちの家系』それと『呪い釘』

三隣亡を祀る家というのが多野郡上野村方面にあってその家の上がり框には穴開き銭が三つ釘で打ちつけてあるといい、座敷の奥には油染みた仏様が祀ってあるという。

油染みた仏とは、言わずもがなこの地方で江戸期から隆盛している歓喜天の事であり、個人でこの仏に祈願をかける祈祷を行なっていた家があったと思われる。

また前橋、桐生、本庄、児玉などにもこの伝承が多く生計の手段として村落共同体の中での不和も厭わないという姿勢が周辺社会には脅威として伝播した。

歓喜天信仰との繋がりは現世利益という一点で確実に結びついており、期限日を決めて行なうという種の法則は密教的にも陰陽思想的にも同心円の中にあるといえる。

[出典:http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1105215618/]

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参考資料

由来

三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかは判明していないが、江戸時代に入ってから確立されたとされる。

実際、三隣亡は、江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから見られるようになっている。

江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。

すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされているが、真偽は不明である。

後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められた経緯がある。

三隣亡と建築

三隣亡は少し前までは建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日とされた。

その字面から、この日に建築事を行うと三軒隣まで亡ぼすとされたためである。

現在でも、棟上げなど建築に関することの凶日とされ、建築関係の行為は避けられることが少なくない。

「高い所へ登るとけがをする」と書いている暦もある。

民俗学と三隣亡

新潟県や群馬県の一部では三隣亡の日に土産物を貰った者は没落し、贈った方は成金になるという言い伝えがあるので、三隣亡の日に贈り物を贈ることは避けるのが風習となっている。

このことは、板橋作美の論文『群馬県南西部におけるオサキモチ信仰とサンリンボー信仰の社会的意味』に詳しい。

この他に、庄内地方には「寅年・午年・亥年は一年中三隣亡」というものがある。

[出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9A%A3%E4%BA%A1]

サンリンボー信仰は、その信者は油じみた神様を祭って毎日拝んでおり、真夜中に特別の願い事をし、薄暗いうちに屋根に上がり、屋根裏をひっくり返して唱えごとを言い、四方を招くようなしぐさをするといわれる。また普段はけちであるが三隣亡の日には近所に振舞をするのですぐわかるという。
周囲の人々が想像するだけで、本人が信じている事はほとんどあり得ない。
昭和初期に隣村から伝わった信仰という。憑依現象、筋の伝播、通婚忌避などは見られないが、近隣の者の富を奪って豊かになるという。

[出典:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2290053.shtml]

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