福岡県の山間にある、ある村の話。
知人の記者が酔った席で、ぽつりと漏らした。
「三十年前に取材したあの村……いまは地図にも載っていないんだよ」
その村は、かつて炭鉱でにぎわっていた。朝晩問わず響く掘削音、黒い粉塵にまみれた作業服、酒場には毎晩芸者が出入りし、子供達は小銭を握りしめて駄菓子屋に駆けこんだ。
ところが、ある年、国の方針で炭鉱が閉山となり、働き口を失った男たちは、国と鉱山会社から退職金と一時金を手にした。
金に慣れてしまった生活は簡単に戻らない。
女房子供を連れてハワイに渡った者。
応接間にシャンデリアを吊るした者。
芸者と暮らし始めた者。
……そんな暮らしが、長続きするはずもなかった。
最初に異変が起きたのは、村の南端の畑だったという。
一人の農夫が草刈り中に足を滑らせ、右足の親指を切り落とした。
ただの不運な事故と笑っていられたのは、そこまでだ。
その翌月、北側の集落で、七十を過ぎた老婆が手の小指を無くした。
そのまた次には、郵便配達の男が耳を……。
医者の往診が増えるにつれ、村にはある噂が広がりはじめる。
「……誰かが“切らせてる”んじゃないか」
実際、事故の報告には妙な共通点があった。
どれもが、きわめて都合よく「保険の契約直後」だった。
しかも、申請された保険の多くは障害等級が高く、支払われた金額は数百万にも及ぶ。
村人のひとりが言っていた。
「最初は、ちょっとした怪我だった。だけど、味をしめたんだよ……」
そのうち、失う指の数が増えた。
誰かの提案で、切断係と見張り役まで立てるようになった。
外の人間が来ると、村総出で「山の仕事は危険でして」と笑顔を作った。
だが、限界はあった。
保険会社が気づき、調査に乗り出す。
県警が動き、そしてついに逮捕者が出た。
だが、ここからが“おかしい”のだ。
取材に当たっていた記者が、一本の録音テープを残していた。
おそらく保険会社にかかってきた、最初の通報電話の録音である。
「……大変だ……農作業中に、鎌が滑って……赤ん坊の首を……」
その声の主が誰だったのか、記者も掴めなかったという。
電話の主は、結局捕まっていない。
赤ん坊の遺体も見つからなかった。
ただ、村の奥にあった廃屋の床下から、何かの小さな骨だけが見つかったと、聞いた。
現在、その村は地図からも消えている。
元の地名を調べようとしても、役所の資料にはなぜか“炭鉱事故による移転”としか記されていない。
だが、現地に行ったという人物が、こう証言していた。
「集落跡に、奇妙な石碑が立っていた。欠けた手の彫刻が、五つ……いや、六つ。並んでいた」
そして、その下には、風雨にすり減りながら、こう刻まれていたという。
『ゆびきりげんまん、うそついたら……』
――そう呟いた彼の小指は、なぜか途中で途切れていた。
(了)