福岡県の山間に、かつて村があった。
知人の記者が、酒の席でぽつりと漏らした話だ。
三十年前に取材したその村は、いまは地図にも載っていないという。
炭鉱で栄えた土地だった。昼夜を問わず掘削音が響き、黒い粉にまみれた男たちが行き交い、夜になれば酒場に灯がともった。閉山が決まった年、村には一時的な金が流れ込み、暮らしは急に派手になった。だが、それが長く続かなかったことだけは確かだ。
最初の事故は、畑だった。
草を刈っていた男が足を滑らせ、親指を失った。
次は北の集落で、年老いた女が小指を落とした。
その次は、配達の途中だった男の耳。
不運が続いている、という言い方がしばらく通用した。
医者の往診が増え、包帯を巻いた人間が増えるにつれ、村では別の言葉が囁かれ始めた。
誰かが切らせている。
事故ではなく、選んで失っている。
奇妙なことに、怪我をした者の多くは、直前に保険の話をしていた。誰も詳しいことは言わない。ただ、金が手に入ったという噂だけが残った。
指は一本で済まなくなった。
誰かが段取りを覚え、誰かが見張りをするようになった。
外から人が来れば、村は揃って同じ言葉を使った。
山の仕事は危険でして。
やがて、外の世界が気づいた。
調査が入り、警察が来て、何人かが連れて行かれた。
それで終わるはずだった。
だが、記者は一本の古い録音テープを残している。
保険会社にかかってきた、最初の通報電話だという。
声はひどく落ち着いていた。
農作業中に鎌が滑った。
誤って、赤ん坊の首を切ってしまった。
それ以上は、うまく聞き取れない。
誰の声だったのか、記者は最後まで掴めなかった。
赤ん坊の遺体は見つかっていない。
村の奥の廃屋の床下から、小さな骨が出たと聞いただけだ。
村はほどなく消えた。
役所の資料には、炭鉱事故による集団移転とだけ記されている。
後年、跡地に行ったという人物がいる。
集落の中心に、石碑が立っていたそうだ。
欠けた手の彫刻が並んでいた。
五つか、六つか、正確な数は思い出せないという。
その下には、かろうじて読める文字が刻まれていた。
ゆびきりげんまん、うそついたら
そう語った彼の小指は、途中で途切れていた。
(了)