これは、母から聞いた話だ。
曽祖父が亡くなったのは、母が高校生の頃だった。九十八歳まで生き、背筋が曲がらず、声にも張りがあった老人だったという。だが、ある冬を境に急に衰え、近所に住む曽祖父のもとへ、母の祖母が毎日看病に通うようになった。
死期が近いと分かってからも、母は曽祖父の家には行かされなかった。祖母が「若い子が見るもんじゃない」と言ったからだ。その日の夕方、学校から帰った母は自室の畳に仰向けになり、ぼんやり天井を見ていた。居間からは柱時計の低い音が、一時間おきに響いていた。
何気なく時間を確認しようと、机の上の置時計を見上げた瞬間、身体が動かなくなった。
声も出ない。手足も動かない。視線だけが、無理やり残されたように動く。金縛りだと分かった直後、曽祖父の顔が頭に浮かんだ。その考えを打ち消そうとした、その瞬間だった。
曽祖父の家がある方角の壁から、白い馬の首が突き出てきた。
壁が壊れる音はなかった。白い馬は、最初からそこにあったかのように、ぬるりと部屋へ入り込んできた。その背には、人が乗っていた。全身白い着物。三角頭巾。顔ははっきり見えないが、ただの幽霊という言葉では足りない重さがあった。
同じものが、次々と現れた。
二頭、三頭、数を数える余裕はなかったが、気づけば六頭ほどになっていた。白い馬に乗った白い影たちは、音も立てず、列をなして部屋を横切っていく。風はないのに、衣の端だけがゆっくり揺れていた。
最後尾の一体が、ふと振り向いた。
その顔を見た瞬間、母の喉がひくりと鳴った。曽祖父だった。生きていた頃よりも表情がなく、怒りも優しさもない。ただ「そこにいる」という目で、母を見ていた。
曽祖父は何も言わず、再び前を向いた。母は首だけがわずかに動くようになり、必死にその行き先を追った。
彼らの進む先には、床でも壁でもない場所に、灰色の穴が開いていた。円形とも渦ともつかず、奥行きだけが異様に深い。吸い込むというより、向こうから呼んでいるような気配があった。
その瞬間、母は理解した。
理解してしまった。
金縛りが解けたと同時に、白い影たちは穴の中へ消えていった。穴も、最初から存在しなかったように消えた。
その夜、曽祖父が亡くなったという知らせが来た。亡くなった時刻は、母が動けなくなっていた時間と、ぴたりと重なっていた。
母はそれ以来、あの光景について自分から話すことはなかった。ただ一つだけ、今でも繰り返す言葉がある。
「あれは、見てはいけない側から、こっちを見られた感じだった」
あの灰色の穴が何だったのか。白い馬の列が何を意味していたのか。母は説明しようとしない。ただ、もしあのとき曽祖父と目が合わなかったら、何かが違っていた気がすると言う。
何が違っていたのかは、聞いても答えない。
(了)
[出典:785: 本当にあった怖い名無し:2010/05/16(日) 18:50:34 ID:/rhVV16S0]