俺はいまでも、親父の実家があるあの村によく行く。
周囲を山に囲まれた、海に張り付くような九州の小さな漁村だ。いまは合併されて村という呼び名は消えたが、地形も空気も何も変わっていない。道路が整備されたおかげで車なら簡単に入れるが、少し奥に進むだけで、外の世界と切り離された感じが戻ってくる。
村の人間は排他的どころか、むしろ過剰なくらい人懐っこい。祝い事があれば親戚でもない知らないオッサンが混じり、飲めや歌えやで夜が明ける。子供はとにかく可愛がられる。俺も弟も妹も、年寄り連中にとっては孫みたいな存在だった。
その中で、特別に世話になったのがシゲ爺さんだ。
俺がガキの頃ですでに九十を越えていたが、頭は冴えていて口も達者だった。奥さんは早くに亡くなり、子供は東京に出たまま戻らない。だからなのか、俺たちが行くといつも嬉しそうに迎えてくれた。木登りも腕相撲も、平気で俺に勝つような人だった。
中学の夏、爺さんは病気で寝たきりになった。俺と弟は、親戚付き合いを抜け出して、毎日のように見舞いに行った。
そのときだ。
爺さんは、ぽつりと昔話を始めた。
「この村はな、昔、生贄ば出しよった」
冗談だと思った。だが爺さんの声は冗談の調子じゃなかった。
不漁のとき、村で不可解なことが起きたとき、若い娘や、村で持て余されていた人間を、夜中に海へ沈めていたという。昭和の初めから、中頃にかけてまで、続いていたらしい。
生贄は神に捧げるものじゃなかった。厄介払いだ。
身体や頭に障害のある人、精神を病んだ人、村の嫌われ者。そういう人間が、ある日突然いなくなる。翌朝には、不思議と海は穏やかになり、魚が戻る。
「おかしいとは思わんかったんか」と俺が聞くと、爺さんは少し考えてから言った。
「娘を沈めるのは、むげえとは思うた。でもな……ほかのもんが消えたあとは、みんな、ほっとしとった」
俺は何も言えなかった。妹の顔が浮かんだからだ。
その風習は、戦後、自然に消えた。人が村を出て、知っている者が減り、誰も口にしなくなった。爺さんはそう締めくくった。
数日後、爺さんは死んだ。
それから何年も経った今も、俺はあの村に行く。年寄りたちは相変わらず優しく、俺を見ると笑う。妹にも、変わらず親切だ。
ただ、最近になって気づいたことがある。
村の古い家のいくつかには、必ず海が見える小さな窓がある。今は使われていない部屋だ。その窓の前には、なぜか物が置かれていない。箪笥も棚も、何も置かない。
ある家で、それを不思議に思って聞いたら、笑ってこう言われた。
「そこは空けとかなきゃいかん」
理由は教えてくれなかった。
今年の春、妹が、夜中に目を覚まして言った。
「波の音が、近い」
実家は海から少し離れている。夜に波の音が届く距離じゃない。
翌朝、村の防波堤の先に、新しい花が供えられていた。名前の書いていない花だった。
それを見て、なぜか俺は、シゲ爺さんが最後に言いかけて、飲み込んだ言葉を思い出した。
爺さんは、生贄の話の途中で、一度だけ、こんなことを呟いた。
「やめたとは言うとるがな……」
その先は、聞けなかった。
[出典:1 :本当にあった怖い名無し:2007/04/21(土) 02:27:25 ID:g9Op8CJw0]