あれは、僕がまだランドセルを背負っていた小学生の頃、確か五年生だったと記憶している。
世の中の理不尽さや、大人の世界の複雑さを少しずつ肌で感じ始め、想像と現実の境界線も、ぼんやりとではあるが見分けがつくようになっていた年頃だ。それなのに、どうしても現実とは思えない、しかし妙に生々しいある映像が、まるで脳裏に焼き付いた古いフィルムのように、僕の頭から片時も離れなかった。
その映像が囁きかけるのは、おぞましい記憶の断片だった。どうやら僕は、まだ物心もつかないような幼い頃、誰かをこの手で殺めてしまったらしい、と。相手は、僕と同じくらいの年頃の、小さな女の子であるようだった。もちろん、僕の住む小さな田舎町で、そんな幼さで命を落とした女の子の話など聞いたこともない。それなのに、なぜか僕の心は、そのあり得ないはずの記憶を頑なに信じ込もうとしていた。
そして、その女の子の小さな骨が埋められているという場所の映像……それこそが、僕の心を最も強く捉えて離さないものだった。
僕の家は、鬱蒼とした林を切り開いた一角に建てられており、当時はまだ珍しかった広い庭を持っていた。周りの家々も似たようなもので、深い林と、作物が実る畑との間に、ぽつり、ぽつりと民家が点在する、そんな寂れた集落だった。だから、子供たちの遊び場といえば、打ち捨てられた古井戸や、蔦の絡まる廃屋といった、大人たちが眉をひそめるような場所ばかり。それらが、僕たちの格好の肝試しスポットであり、冒険の舞台でもあった。そんな、どこかこの世とあの世の境目が曖昧な土地柄だったのだ。
問題の場所は、僕の家の広い庭の隅、普段は誰も寄り付かないような、古びた物置小屋の裏手にあった。そこは、一日中陽の光が届かず、じめじめとした空気が淀む、薄暗く狭い空き地だった。そして、その向こうには、昼なお暗い深い森が、まるで異界への入り口のように口を開けて広がっている。その空き地の、降り積もった落ち葉に厚く覆われた、ふかふかと柔らかい土の下に、あの女の子の小さな骨が埋まっているのだと、僕の記憶は告げていた。その場所を思うだけで、言いようのない恐怖がこみ上げてくるのだった。
……そんな夢を、僕は何度も、何度も繰り返し見た。それが、小学五年生だった僕の心に、まるで呪いのように深く刷り込まれていた映像の正体だった。その薄暗い空き地は、子供心にも不気味な雰囲気を漂わせており、実際にそこで遊んだ記憶など、ほとんどなかったにもかかわらず、だ。
想像と現実の境目は、自分の中でははっきりしているつもりだった。だからこそ、僕は、この忌まわしい映像が、ただの悪夢に過ぎないことを確かめなければならないと思った。この胸に巣食う不安の正体を、自分の目で確かめずにはいられなかったのだ。
そしてある秋の日、僕は一人、あの薄暗く狭い空き地に立っていた。人気はなく、昼間だというのに、周囲は水を打ったようにしんと静まり返っている。風が木々の葉を揺らす音だけが、やけに大きく耳に響いた。目の前に広がる光景は、僕の記憶の中の映像と寸分違わなかった。ごつごつとした樹木の並び方、陽の光を浴びることなく、しょぼしょぼと力なく生えている日陰の雑草たち。秋だというのに、まだそれほど寒くはなかったはずだが、僕は全身に粟立つような鳥肌が立つのを感じた。
記憶の中の確かな目印である、一本の小さな常緑樹――榊(さかき)の木は、すぐに見つかった。夢の記憶の通り、その木の根元には、周囲の暗がりとは対照的に、ほんの僅かだが柔らかい陽の光が差し込み、湿った枯れ葉が厚く降り積もっていた。そして、そこに足を踏み入れた瞬間、僕は思わず息を飲んだ。踏みしめた地面が、予想以上に柔らかく、足がずぶずぶと沈み込んでいく。もともと窪んでいた場所に、長い年月をかけて落ち葉や枯れ草が堆積し、まるで落とし穴のようになっていたのだろう。そこには、他の場所とは異なり、ほとんど雑草らしい雑草も生えていなかった。
僕は、あらかじめ家から持ち出していた小さなスコップを握りしめ、意を決してその場所を慎重に掘り始めた。湿った土の匂いが、むわりと鼻をつく。心臓が早鐘のように鳴り響き、額には冷たい汗が滲んでいた。
すると、まもなく、スコップの先が「カチリ」と、何か硬いものにぶつかる鈍い感触が伝わってきた。
枯れ葉と、湿った黒土との隙間から、何か白いものと、布きれのようなもの、そして、まるで人間の髪の毛の束のような黒い塊が、おぞましい姿を覗かせていた。
その瞬間、僕は全身から血の気が引いていくのを感じ、目の前が暗くなるような感覚に襲われた。しかし同時に、「やはり、そうだったのか」という、妙に透き通った、まるで夢の中にいるかのような不思議な感覚も、確かにそこには存在していた。恐怖が麻痺してしまったかのような、奇妙な夢見心地の中で、僕はまるで何かに操られるかのように、淡々と土や枯れ葉を丁寧に取り除き、その「何か」を掘り出した。
それは、半ば腐りかけ、ところどころ崩れかかった古びた着物をまとった、一体の市松人形だった。
僕は、掘り出したその市松人形を、震える手で母に見せた。母は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに「ずいぶんと立派な作りだし、何よりも人の形をしたものだから、これはちゃんと供養してあげないといけないね」と言い、その日のうちに、近くの小さなお寺へと人形を持って行ってくれた。
ここから先は、母がそのお寺の老いた住職さんから聞いてきた話になる。
この市松人形は、今から四十年以上も前に亡くなった、以前この近所に住んでいたある一家の女の子のものに違いないだろう、と住職は静かに語り始めたという。その女の子が、それはそれは大切にしていた人形で、亡くなった時、お棺に一緒に入れて弔ってあげようとしたのだが、どうしても見つからなかったものなのだそうだ。
その女の子が亡くなったのは、不慮の事故が原因だった。まだ幼い子供たちが、例の物置小屋の裏手あたりで無邪気に遊んでいた時、ある男の子が振り回していた火箸か何か――先の尖った鉄の棒のようなもの――が、不運にも手からすっぽ抜けてしまい、運悪くその女の子の頭部に深く突き刺さってしまったらしいのだ。
母は、「もしかしたら、目に刺さってしまったんじゃないかしらね……」と、痛ましそうに呟いていた。
ぐったりとしてしまった女の子を、他の子供たちが「大変だ!」と泣き叫びながらお寺に運び込んできたため、当時は大変な騒ぎになったという。結局、その女の子は、その時の傷が元で、間もなくして幼い命を閉じてしまった。そして、不運にも怪我をさせてしまった男の子の方も、それから少し経ってから風邪をこじらせて肺炎を起こし、あっけなく後を追うように亡くなってしまったそうだ。
「あの頃は、このあたりには医者もおらず、当時としては大変な贅沢品だった自動車を持っている家など、一軒もなかったからのう。どうしても手当が遅れがちになってしまってな。二人とも、本当に可哀想なことじゃった……」と、住職は遠い目をして語ったという。
女の子の家も、そして怪我をさせてしまった男の子の家も、この村に居づらくなってしまったのだろう、事件後すぐに遠くへと引っ越してしまい、今となっては、この辺りでその悲しい出来事をはっきりと記憶している人も、もうほとんどいないだろう、とのことだった。
もし、その時僕の祖父母が生きていれば、掘り出された市松人形を見た瞬間に、はっと何かに気づいたのかもしれない。
おそらく、こうだったのだろう。その女の子は、たまたまその日、お気に入りの市松人形を持って遊びに出て、不慮の事故に遭ってしまった。そして、人形を落としてしまった場所が、普段あまり人が近寄らないような物置小屋の裏手だったこと、そして、他の子供たちが、彼女をその場所から直接お寺へと連れて行ってしまったことで、人形はそのまま誰にも気づかれることなく、その場所に置き去りにされてしまったのに違いない。
その話を聞いてからというもの、僕は、あの場所に骨が埋まっているという悪夢を、ぱったりと見ることがなくなった。
僕は、どちらかというとオカルトの類は信じない方だ。しかし、あの女の子に、長い間土の中に埋もれていた大切なお人形を返してあげることができたのだという、胸の奥からこみ上げてくる温かい安堵の気持ちを、無理に打ち消そうとは思わない。
もともと仲の良かった、あの二人の子供たちが、大好きだった市松人形を、何かの縁で僕に託し、取り戻したかったのだろう。僕は、そう思うことにした。そして、その小さな邂逅が、僕の心に深く刻まれた、忘れられない記憶の一つとなったのだ。
(了)