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足のないオルガン弾き r+2,158

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家に、古いオルガンがあった。

母が私を産む前に、中古で手に入れたものだと聞かされた。

リビングの片隅にずっと置かれていたが、家族の誰もほとんど触らなかった。埃をかぶった木製の鍵盤カバー、黄ばんだ象牙風のキー、低音部にあるはずの足用のペダル鍵盤――それらはずっと沈黙していた。

小学生の頃、一度だけ試しに触ったことがある。
単純に面白そうだと思って鍵盤を叩いたのだが、音が出るのは上の鍵盤だけで、足で踏む低音のペダルは全く鳴らなかった。まるでそこだけ壊れてしまったみたいに。私はすぐ飽きて、それ以来、オルガンに触ることはなかった。

忘れかけていた頃だった。
高校二年の冬、三学期の中間考査の前日。私は机にかじりついていた。普段ろくに勉強しないのに、テストの直前だけ追い詰められたように夜更けまで机に向かうのが習慣になっていた。

その日も午前一時を過ぎていた。
鉛筆を握る手は重く、頭は朦朧としていた。あくびをかみ殺したとき、下の階から音が響いた。

オルガンの音だった。

――え?

一瞬、空耳だと思った。だが次第にはっきりとした旋律になって聞こえてきた。ゆっくりした有名な曲。名前は思い出せないが、どこかで何度も耳にしたことがある旋律だった。

しかし妙だった。低音が欠けている。右手の旋律は確かに聴き取れるのに、左足で鳴らすはずのベース音が全く響かない。記憶にある通り、あのオルガンは壊れているのだ。

胸がざわめいた。母しか弾けるはずがない。だが母はもう二階の寝室で寝ている。夜中の一時半に、わざわざ起きて暗闇のリビングでオルガンを弾くなんてこと、常識的に考えてあり得ない。

耳を塞ぎたかったが、旋律は途切れない。繰り返し、繰り返し。音は少しずつ大きくなっているように感じた。眠気は吹き飛び、机に向かっているどころではなくなった。

ついに我慢できず、確かめるしかないと思った。

階段を降りる。廊下や踊り場の電気を全部点けた。暗闇に近づく勇気はなかった。リビングの前で立ち止まると、まだ音は続いている。ドアの向こうから流れ出す旋律。けれど部屋の電気は消えている。

母が弾いているのなら、どうして真っ暗闇の中で……?
考えれば考えるほど背筋が冷たくなり、心臓の鼓動が耳に響いた。

ドアノブに触れようとした瞬間、音がぷつりと途切れた。
その沈黙の重さは耐え難かった。リビングを包む暗闇の中に何かが潜んでいる気がして、ドアを開ける勇気がどうしても出ない。五分ほど立ち尽くしていたと思う。全身の毛穴から冷や汗が吹き出し、体の芯が内側から潰されるように感じた。

意を決してドアを開けた。ぎぃ、と音が響き、心臓が飛び跳ねる。電気をつけた。

そこには誰もいなかった。オルガンの前も、部屋の隅も、ただ暗い家具の影があるだけだった。

その次の日も、同じ時間に音が鳴った。
そしてまた、ドアを開けると誰もいなかった。

母に話しても、「夢でも見たんじゃないの」と笑って取り合わなかった。

三日目。私は決心した。今度は音が鳴っている最中に踏み込む。
二階から一気に駆け下り、全身の恐怖を押し殺してリビングの扉を開けた。

いた。

女の人だった。古びた白いワンピース。背中は細く、後頭部に髪が一本も生えていない。

私は声を失った。動けず、ただ汗が洪水のように噴き出すのを感じた。

女が振り返る。十秒近くかけて、ぎこちなく、ゆっくりと。

距離があって顔はよく見えなかったが、目には何かがびっしり刺さっているように見えた。口は異様に大きく、ひび割れたように裂けていた。

そして何より恐ろしかったのは――足がなかった。床に立っているはずなのに、膝から下が存在しなかったのだ。

女は突如、喉を裂くような絶叫をあげた。

その音は私の全身を貫き、体の奥を抉った。涙が勝手にあふれ出し、子どものように泣き声をあげてしまった。

絶叫は数秒で途切れた。女は動かなくなった。

理性より先に本能が働き、私は踵を返してリビングを飛び出した。玄関から裸足で外へ走り出す。振り返るのが怖くて、ただ夜の冷たい空気を切り裂いて走った。

家の前で息を切らし、しばらく後ろを見続けた。女は追ってこなかった。
私はそのまま朝まで外にいた。

翌朝、家族は何も知らなかった。あの絶叫を聞いた者はいなかった。

――その一ヶ月後、私は事故に遭った。
自転車で交差点を横切ったとき、バイクにはねられた。

下半身が動かなくなった。医者は「一生歩けないだろう」と言った。

布団に横たわりながら、あの女の「足がない姿」を思い出した。脳裏に焼きついて離れない。まるで私の未来を見せられたように。

さらに二年後、母が新しいオルガンを買った。今度は低音もちゃんと鳴る。母は楽しそうに指を動かした。

私も試しに弾いてみた。だが、どうしてもペダルは踏めなかった。
足が動かないから――ではない。踏もうとした瞬間、あの女の絶叫が耳に蘇るのだ。
膝から下の空白が、今も私の目の前にちらつくのだ。

それ以来、新しいオルガンにも触れていない。

[出典:2012/02/13(月) 08:26:13.95 ID:RsgmH26g0]

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