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低音のないオルガン rw+2,513-0126

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家に、古いオルガンがあった。

母が私を産む前に、中古で手に入れたものだと聞かされていた。リビングの窓際、テレビ台と本棚の間に押し込まれるように置かれ、家族の誰も積極的に触ろうとはしなかった。木製の鍵盤カバーはいつも薄く埃をかぶり、象牙風の鍵盤は黄ばんで、低音用の足鍵盤は最初から壊れているように見えた。

実際、壊れていたのだと思う。小学生の頃、物珍しさから一度だけ鍵盤を叩いたことがある。上の鍵盤は頼りない音を返してきたが、足鍵盤はまったく反応しなかった。踏み込んでも、そこだけが空洞のように沈黙していた。私はすぐに興味を失い、それ以来、オルガンは家の風景の一部として意識の外に追いやられた。

次にそれを思い出したのは、高校二年の冬だった。三学期の中間考査前日。私は自室の机に向かい、意味の薄い暗記を繰り返していた。午前一時を過ぎ、頭の奥がじんわりと痺れ始めた頃、階下から音がした。

オルガンの音だった。

一瞬、夢か空耳だと思った。だが音は消えない。ゆっくりとした旋律が、規則正しく繰り返されている。どこかで何度も耳にしたことのある曲だが、曲名は思い出せなかった。ただ、耳に馴染みすぎているせいで、逆に不安を煽る旋律だった。

妙なのは、低音がないことだった。右手の旋律だけが浮かび、足で鳴らすはずのベース音が完全に欠けている。記憶と一致していた。あのオルガンは、足鍵盤が鳴らない。

母が弾いているのだろうか。そう思おうとしたが、すぐに否定された。母はすでに二階の寝室で寝ている。深夜一時過ぎに、電気もつけず、わざわざオルガンを弾く理由がない。

音は止まらなかった。むしろ、少しずつ存在感を増していくように感じられた。眠気は消え、机に向かう意味も失われた。耳を塞ぐ勇気も、布団に潜り込む逃げ道もなかった。

確かめるしかない。そう思った瞬間には、もう椅子を引いていた。

階段を降り、廊下と踊り場の電気をすべて点けた。暗闇に近づく気はなかった。リビングのドアの前で立ち止まると、ドア越しに旋律が流れ続けている。部屋の中は暗いままだった。

ドアノブに手を伸ばした瞬間、音が途切れた。

沈黙が落ちた。重く、密度のある沈黙だった。まるで部屋の中に、音の代わりに何かが残されたような感覚があった。私はドアを開けられず、その場に立ち尽くした。どれくらい時間が経ったのか分からない。五分ほどだったと思う。

意を決してドアを開け、電気を点けた。

誰もいなかった。オルガンの前も、家具の影も、いつものリビングだった。

その夜はそれで終わった。だが翌日も、同じ時間に音が鳴った。そしてまた、確認すると何もいなかった。三日目の夜、私は決めた。次は、音が鳴っている最中に中へ入る。

午前一時過ぎ。旋律が始まった瞬間、私は二階から駆け下りた。ためらいはなかった。怖さよりも、確かめたいという衝動の方が強かった。

リビングのドアを開けた。

オルガンの前に、人がいた。

女だった。白い、時代の分からないワンピースを着ている。背中は細く、妙に静かだった。髪は後頭部に一本もなく、皮膚がそのまま露出しているように見えた。

女はオルガンを弾いていた。上の鍵盤だけを、同じ旋律で、淡々と。

私は声を出せなかった。視線が、自然と下に落ちた。

女には、足がなかった。

膝から下が、最初から存在しないかのように、そこだけが欠落していた。床に立っているはずなのに、立っていない。支えているものが、何も見えなかった。

女はゆっくりと振り返った。時間が引き延ばされたように感じられた。顔ははっきり見えなかった。ただ、視線だけがこちらに向いたのは分かった。

その瞬間、音が止まった。

女は何も言わなかった。叫びもなかった。ただ、音のない沈黙だけがあった。

次の瞬間、私は逃げていた。リビングを飛び出し、玄関から裸足で外へ出た。振り返ることはできなかった。そのまま家の前で朝を迎えた。

家族は何も知らなかった。母も、父も、妹も、夜中に音を聞いた者はいなかった。

それから一ヶ月後、私は事故に遭った。自転車で交差点を横切ったとき、バイクにはねられた。下半身が動かなくなった。医者は、回復の見込みは薄いと言った。

私は、あの女の姿を思い出した。だが、それが予兆だったのかどうかは分からない。ただ、思い出してしまうのだ。足のない姿を。床に立っていないのに、確かにそこにいた姿を。

二年後、母は新しいオルガンを買った。今度は足鍵盤も正常に鳴る。母は楽しそうに弾いていた。

私も一度、鍵盤に触れた。上の旋律は問題なかった。だが、足鍵盤を踏もうとした瞬間、体が止まった。恐怖ではない。踏めば、何かが戻ってくる気がした。

音なのか、沈黙なのか、自分でも分からない何かが。

私は、それ以来、オルガンに触れていない。
あの低音が、本当に欠けていたのは、楽器だったのか。
それとも、最初から――私の方だったのか。

[出典:2012/02/13(月) 08:26:13.95 ID:RsgmH26g0]

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