九十年代の終わり、忘年会帰りに寄った場末の居酒屋で、偶然隣り合わせた女が語った話を、今も忘れられない。
店内は酔客の笑い声で満ちていたのに、彼女の声だけが妙に沈んでいた。酔っているのかいないのか分からない目で、グラスを握ったまま、甥の話を始めた。
四歳の甥が白血病で入院した。進行が速く、医師の言葉は曖昧で、希望と絶望の境目が日に日に薄くなっていった。姉夫婦は毎日病院に通い、ただ息子の小さな体を見守るしかなかった。
そこへ叔母が現れた。霊だの祟りだのを本気で信じている人で、自称霊能者を連れてきた。病室で、子供の額に手をかざし、目を閉じてうめき声をあげる。
「悪霊が憑いている。このままでは地獄に連れて行かれる」
常識で考えれば荒唐無稽だ。だが、追い詰められた親にとっては、否定しきれない言葉だった。病室で大きなことはできないからと、家で儀式を行った。状況は変わらない。それでも叔母は言った。
「悪霊は強い。今すぐ連れ出して除霊しなければ」
その直後、甥の容態は急変した。小さな手で母親の指を握りしめ、「ママ怖い……」と繰り返しながら息を引き取った。
そこまで語ると、女は一度黙った。居酒屋の喧騒が遠くなる。俺はビールの味を思い出せなかった。
その後、姉夫婦は離婚した。姉は下の娘を連れて実家へ戻った。だが、彼女を壊しかけたのは、あの霊能者の言葉だったという。
「子供は地獄に堕ちる」
夜になると、その言葉が形を持った。炎の中で泣き叫ぶ息子の姿が浮かび、眠れない日が続いた。祈ることも否定することもできず、ただ想像だけが膨らんでいった。
ある日、遺品を整理していて、甥の落書き帳を見つけた。めくっていくと、最後のページに、鉛筆で書かれた一言があった。
「だいじょうぶ」
姉の記憶では、そのページは白紙だった。何度も見たはずの場所に、なかったはずの文字がある。
それを見た瞬間、地獄の幻影が遠のいたという。あの子は苦しんでいない。あの子はどこかで笑っている。そう思えたとき、初めて息ができた。
それから姉は変わった。大型免許を取り、運送会社に就職した。長距離を走りながら、娘を育てている。
女はそこで言った。
「あの文字がなかったら、たぶん姉は戻ってこれなかった」
俺は何も言えなかった。最後のページを見落としていただけかもしれない。子供が入院中に書いたものを、後で見つけただけかもしれない。理屈はいくらでも立つ。
だが、あの文字が本当に“後から現れた”可能性も、ゼロだとは言い切れない。
それよりも、俺の頭から離れないのは別のことだ。
もし、あの霊能者が地獄の話をしなければ。もし、姉が地獄を恐れなければ。あの文字は、救いになっただろうか。
「だいじょうぶ」
あの言葉は、死んだ子供の声だったのか。追い詰められた母親の無意識だったのか。それとも、恐怖を植えつけた誰かが、最後に残した別の種だったのか。
救いと呪いは、同じ形をしているのかもしれない。
あの夜の居酒屋の薄暗い照明を思い出すたび、俺は考える。
誰かの恐怖に言葉を与えた瞬間、それはもう、その人の中で生き続ける。
たとえそれが、たった五文字でも。
(了)