ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 r+ 後味の悪い話

落書き帳の最後の言葉 r+5,079

更新日:

Sponsord Link

九十年代の終わり、忘年会帰りに寄った場末の居酒屋で、偶然隣り合わせた女の子が語ってくれた話を、今も鮮明に覚えている。

あの夜の彼女の声は、店内の喧騒とは不釣り合いに沈んでいて、アルコールの匂いよりも重く、冷たいものを俺の胸に残していった。

彼女の話は、姉と甥のことから始まった。
まだ四歳の甥が白血病で入院したのだという。小児白血病――耳慣れた言葉ではあったが、それが身近に迫ると、ただの医学用語ではなく、家族を呑み込む深い沼のように思えた。
進行が速く、助かる見込みは医師でさえ慎重にしか口にしない。彼女の姉と義兄は、祈るような気持ちで病院に通い続けていた。

そこに現れたのが、彼女の叔母だった。
迷信深く、霊だの祟りだのを信じている人で、しかもお節介な性分だったらしい。ある日、彼女は自称霊能者を連れて病院に現れ、甥の病室で霊視めいた芝居を始めた。

霊能者の口から出た言葉は、一家を一層追い詰めた。
「この子には悪霊が憑いている。今すぐ除霊しなければ、地獄に連れて行かれる」

半信半疑どころか、普通なら鼻で笑うような言葉だ。
だが、目の前で息子の命が削られていく親にとっては、藁の一本にも見える。
病室から子を連れ出せないため、家で儀式を行った。だが、状況は一向に良くならなかった。

そして再び叔母が現れる。
「悪霊は思いのほか強い。一刻も早く連れ出して除霊しなければ、この子は地獄に堕ちる」

その直後、甥の容態が急変した。
小さな手で母親の指を握りしめながら、「ママ怖い……ママ怖い……」と繰り返し、あっけなく命が尽きてしまった。

彼女がここで一度言葉を切ったとき、俺はビールの泡が喉を通る感覚を忘れていた。
あまりに無力で、あまりに残酷だった。

その後、両親は離婚。姉は下の娘を連れて実家に戻った。
だが、彼女の心を最も苛んだのは「子供は地獄に堕ちる」というあの霊能者の言葉だった。
夜な夜な想像するのだ。血の池や炎に囲まれ、泣き叫びながら助けを求める幼子の姿を。
そんな映像が頭に浮かんでは離れず、狂気に呑み込まれる寸前の日々が続いたという。

ある日、整理していた荷物の中から、亡き息子の落書き帳が出てきた。
殴り書きのような絵が並ぶページをめくるたび、彼女は涙を流した。
けれど、最後のページで息が止まった。

記憶では、そのページは空白だった。
ところが、そこには鉛筆で拙く書かれた文字がひとこと。

「だいじょうぶ」

その瞬間、彼女は雷に打たれたようになったという。
これは息子が死後の世界から送ってくれた言葉に違いない。
そう思った途端、胸を締め付けていた「地獄」の幻影が、ふっと遠ざかっていった。

彼女は泣きながら語った。
その日を境に、自分の中で何かが変わったと。
すがりつくように大型免許を取り、運送会社に就職した。娘を育てるために、女ひとりでハンドルを握り続けている。

「母親ってすごいよな」
そう呟いた彼女の目は赤く濡れていた。
それきり彼女は黙り込み、テーブルにうつむいたまま動かなかった。

冷静に考えれば、単に最後のページを見落としていただけかもしれない。
子供が病院で暇つぶしに書き残した文字に気づかず、あとになって見つけただけかもしれない。
理屈ではそうだ。だが、彼女にその言葉を投げつけるのは、あまりに酷だと思った。

親というものは、ほんのわずかな希望にすがらずにはいられない。
霊を信じていない俺ですら、家族を失った時には、せめてあの世で笑って暮らしていて欲しいと願った。
その願いがあったからこそ、どうにか生き延びられた。

だからこそ、あの無神経な霊能者の言葉が今でも許せない。
他人の恐怖に寄生して金をむしり取るその口を、拳で塞ぎたいとさえ思う。

彼女の話を聞いてから幾年も経つが、今もあの「だいじょうぶ」という文字が、俺の頭の片隅に残り続けている。
誰に向けられた言葉だったのか。母親にか、妹にか、それとも自分にか。
答えは出ない。けれど、ひとつ確かなのは――「だいじょうぶ」と書いたのが子供自身であれ、母親の錯覚であれ、その言葉が彼女を生き延びさせたという事実だ。

人は信じたいものを信じて生きる。
それがたとえ虚構でも、日々を支える力となるのなら、それは虚構ではなく現実の一部なのかもしれない。

そう思うたび、俺はあの居酒屋の薄暗い照明を思い出す。
皿の上で冷めかけた焼き鳥よりも、彼女の震える声の方が強烈に胸に残っている。
それこそが本当の怪談――誰かの人生を狂わせ、そして救った言葉の怪異だった。

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, r+, 後味の悪い話

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.