深夜、ベッドに横になっていると、必ず同じ音で目が覚めた。
ずり……ずり……と、床を引きずるような音。
最初は気のせいだと思った。古いアパートだし、配管の音か、隣の生活音が反響しているだけだと自分に言い聞かせた。
だが、その音は規則正しく、しかも部屋の中を移動していた。壁際から始まり、机の下を通り、やがてベッドの周囲を回る。止まることはない。必ず、人の体を床に這わせたときに出る摩擦音と同じ間隔で続いた。
心霊スポットに行ったのは、その少し前だった。
友人に誘われ、半分肝試しのつもりで訪れた廃病院。何かを見た覚えはないし、写真にも異常はなかった。ただ、帰りの車内で妙な疲労感が残り、その夜から、この音が始まった。
眠るのが怖くなった。
電気を点けっぱなしにしても、音は消えない。耳栓をしても、床を伝う振動のように頭に響いてくる。次第に、音が近づくと、空気の重さまで変わるように感じるようになった。
ある日、恐怖を誤魔化すために、スマホで動画を流しながら眠ることにした。
以前、某夢の国で撮影した夜のパレード。音楽が流れ、人々が笑い、色とりどりの光が画面を満たす。現実から最も遠い場所の映像だった。
動画をループ再生にして目を閉じた。
その夜も、音は来た。
ずり……ずり……。
だが、いつもより動きが遅い。床を回るというより、何かを探るように進んでくる。やがて音は、ベッドの枕元で止まった。
完全に止まった。
次の瞬間、すぐそばに「在る」気配が生まれた。
触れられていないのに、顔の横の空間が圧迫される感覚。息の通り道が狭くなり、喉がひくりと鳴る。
動画の音楽だけが、場違いなほど明るく流れていた。
目を閉じたまま、時間が過ぎるのを待った。だが、何分経っても、何も起こらない。逃げ場のない恐怖が、次第に苛立ちに変わっていった。
結局、俺は片目をうっすら開いた。
枕元に、人の形をした黒いモヤがあった。
輪郭は曖昧で、煙の塊のようにも見える。だが、首の位置、肩の傾き、明らかに人の上半身だった。
その姿勢がおかしかった。
俺を見ていない。
横を向いている。
視線の先を追うと、スマホの画面があった。
パレードの映像。光と音楽と歓声。
黒いモヤは、微動だにせず、それを見つめていた。
俺の存在は、完全に無視されていた。
叫ぶことも、逃げることもできなかった。ただ、その光景を見ているしかなかった。黒いモヤは、まるで「客席」にいるかのように、画面に顔を向け続けていた。楽しんでいるのかどうかは分からない。ただ、集中していた。
やがて、動画が一周し、同じ音楽が最初から流れ始めた。
その瞬間、黒いモヤが、ほんのわずかに身じろぎした。位置を変えたのではない。視線の角度が、数センチ調整されたように見えた。
それ以上、何も起きなかった。
気がつくと、朝だった。
音は消えていた。
それ以来、俺は毎晩、同じ動画を流して眠った。怖さは消えなかったが、音は戻らなかった。
一週間。二週間。
床を這う音は、二度と聞こえなかった。
だが、安心はなかった。
夢の国のパレードを見るたびに、妙な違和感が残るようになった。あの映像は、本当に俺のためのものだったのか。暗い部屋で、俺より先に、誰かが座って見ていたのではないか。
再生を止めた瞬間、部屋のどこかで「続きを待つ」気配が生まれていないか。
今も、動画は消せずにいる。
流さないと眠れないのではない。
流さないと、誰が戻ってくるのか、分からないからだ。
[出典:503 :本当にあった怖い名無し:2018/06/26(火) 13:24:04.40 ID:kD1bFsfs0.net]