あれは、オレオレ詐欺なんて言葉がまだ世間に馴染んでなかった頃のことだ。
だから今思い返しても、あれが一体なんだったのか、さっぱり分からないままでいる。
金曜の夕方だった。会社で打ち合わせ中、スマホに親父の名前が表示された。
正直、こんなタイミングで何だよって思ったが、一旦拒否して、打ち合わせが終わってから折り返した。
……が、出ない。
既読すらつかない。あの人はSNSもやらないし、普段のやりとりは電話だけだ。
胸の奥がざわついていたけど、まあ用事があるならまたかかってくるだろうと、そのまま仕事を片付け、九時頃にはオフィスを出た。
コンビニに立ち寄って、冷食でも買って帰ろうかと物色していたその時だ。
また親父の名前が画面に浮かんだ。
「おう、俺だけど」
出た瞬間、聞き慣れた声。
ただ、なんというか……籠もっていた。低くて湿ってるような声だった。
「どうしたの?」
「ちょっと具合悪くして検査に来たら、そのまま入院になってな……病院の人が家族に連絡を、って言うもんでな。すまんが、来れないか?」
そんな……急に?場所は?
「地元の市民病院だ。お前も知ってるだろ、あの大池のそばのやつだ」
……母さんが死んで、親父一人で俺を育てた。
無口でぶっきらぼうだったけど、あの人は何より俺を大事にしてくれていた。
迷いはなかった。「行くよ」とだけ言って、すぐにレンタカーを手配した。
二県向こうの実家、約二時間。高速は予想より空いていて、アクセルもつい踏みすぎる。
ただ途中から、なんだか様子がおかしくなった。
胸の奥がぎゅう、と掴まれるように苦しくて、吐き気が止まらない。耳鳴りもした。
眠気じゃない、なんとも言えない、内側から削られるような感覚。
ハンドルを握る手が震えてた。
親父、大丈夫だろうか。癌だったらどうしよう。恩返しなんて、何もできてないのに。
やっと地元に入ったのは、夜の十一時半を回った頃。
人口数千の小さな町は、夜ともなればまるで死んだように静かで暗い。
市民病院は、町の中心から外れたところ、大池の隣にあるはずだった。
が、その前に、あまりに喉が渇いて、たまらず見覚えのあるコンビニに寄った。
その店はたしか、昔の同級生・川田の家が経営していたはずだ。
中に入ると、がらんとした店内。アイスコーヒーを持ってレジに向かうと、懐かしい声がした。
「……山田、か?」
川田だった。五年ぶりの再会だ。
「帰ってきてたのか?」
親父が入院したらしくて、会いに行くと話すと、彼は怪訝そうな顔をした。
「市民病院? 大池のそばの、あそこか?」
「ああ」
「……ちょっと、こっち来い」
彼はレジを出て、俺を飲食スペースへ連れていった。
周囲には誰もいない。川田は低い声で言った。
「あそこ、もう無いぞ。市の合併で潰れた。今はF市の総合病院に統合されて、跡地は……廃墟だ」
理解が追いつかない。じゃあ、親父は?誰が、あの電話を?
そう聞く前に、彼は俺のスマホを手に取り、親父の番号にかけ出した。
「いや、今カラオケか何かで出ないと思うよ」
制止しようとしたが、彼は左手を上げて制し、電話口で誰かと話し出す。
「こんばんはー、山田の同級生の川田です。今、本人いるんで代わりますね」
受話器を渡される。
「もしもし?」
「ああ、どうした?」
親父の、快活な声だった。背後からはカラオケの音、誰かの笑い声。
「……いや、体は大丈夫?」
「ああ、懐は寂しいけどな!ハハハ!」
……もう、笑えてくるくらい元気そうだった。
「何でもない。仕事で近くまで来ただけ。また電話するよ」
川田にスマホを返す。何だったんだ、この一連の出来事は。
「市民病院に行く用事ないなら、今夜は帰った方がいい」
川田はそう言って笑った。
「……あんなとこ、夜に行くとヤンキーに襲われて大池に沈められるぞ」
笑い話だと思いたかった。でも、どうしても笑えなかった。
自分のアパートに帰ったのは午前三時手前。
泥のように疲れて、シャワーも浴びずにベッドに倒れた。
――昼前。親父から電話。
「昨日は家にいなくてすまんな。……何かあったか?」
ためらったが、昨日のことを全部話した。
市民病院のこと、電話のこと、川田と会ったこと。
「俺の携帯、発信履歴見ても……お前に電話なんかしてない」
それから、沈黙。
「……川田さんちのコンビニ、半年も前に潰れてるんだよ。家族もいなくなってる。確か、婆ちゃんが捜索願出してたはずだ」
頭がぐらついた。
「あの……俺にかかってきた番号、全部ゼロだった。000-0000-0000……」
親父がぽつりと呟く。
「昨日、俺にもかかってきたよ。その番号から。若い男の声で、すぐお前に代わった」
それ以上、会話は続かなかった。
それでも親父は最後に言った。
「とにかく、気をつけろ。……また連絡するからな」
あれは何だったのか。
市民病院の跡地には、今でも花が手向けられているらしい。
誰が、誰のために置いているのかは分からない。
けれど、夜になるとあの池のそばに、誰か立ってるという噂がある。
親父はもう、あの町には住んでいない。
川田一家も戻ってきていない。
けれど、時々、深夜にスマホが震える。
画面には、あの番号。
000-0000-0000。
「おう、俺だけど」
その声が、俺をまだ呼び続けている。
[出典:436:本当にあった怖い名無し 投稿日:2019/06/23(日)03:16:42.59ID:j0Xhry3G0]