近所に神職の家がある。
家族ぐるみで付き合いがあって、気さくで物腰の柔らかい人たちばかり。あの土地で代々続く由緒ある分家で、本家とは別に、神社を守っている。
特に仲良くしてもらっていたのが、次男の清助さん。三十代半ばで、今は神社の事務仕事をメインにしてるけど、昔はお祓いや祭祀にも関わっていたらしい。
数ヶ月前、新車を買って交通安全の祈願にその神社へ出向いたとき、社務所にいた清助さんに挨拶をして、世間話を始めた。冗談半分で聞いた。
「お祓いの仕事って、すごく強い霊を祓ったりするんですか?」
返ってきたのは意外な答えだった。
「憑かれてる人が来ること自体、まず無いんだよ」
厄除けや願掛けに来る人は多くても、本当に憑かれているケースは稀で、大抵が思い込みらしい。
「でもね、一度だけ、本当にヤバいものを見たことがある」
その瞬間、空気が変わったのを感じた。冗談半分だった俺の顔を見て、清助さんは少し笑ってから、
「この話は社務所じゃやりにくい」
と言って、境内を抜けた山際のベンチまで俺を連れていった。
……その時の彼の横顔が、今も忘れられない。目の奥が、遠くを見ていた。
十数年前、彼が神職になって間もない頃の話らしい。若さと反骨精神で、本家に対して微妙な劣等感を抱いていたという。俺の地元では、旧家同士の関係は意外とフラットで、本家も分家も仲が良い。でもそれでも、血の中に沈殿している何かが、時にそうさせるらしい。
彼らの一族は、全員が“視える”体質を持っている。よそから婿や嫁に来た人間を除けば、皆そうだ。
千年以上前から続く家系で、本家の神社(便宜上、X神社)に仕える者は、神から特別な加護を受けるため、霊などには一切近づかれない体になっている。
それが、清助さんにとっては我慢ならなかったらしい。苦労して霊的な対処を覚えた自分に対して、生まれながらに守られている本家の人間。自分は劣っているのか、神にとって不要なのか、と。
そんな中で起きた。
本家の次代当主となる長女が、十歳の時に行う継承の祭祀に失敗したのだ。記録に残る限り、そんなことは一度もなかった。慌てた本家は、急遽本家と分家の神職を一堂に集め、追加の祭祀を執り行うことになった。
清助さんは、そこで“賭け”に出た。
その神社――通称Z神社に伝わる、封印のための祝詞があった。内容は分家の者でも知ることはできるが、当主と次期当主以外が読み上げることは禁止されていた。
清助さんは、あえてそれを読み上げた。神の目に、自分を刻ませようと。
「今考えれば、あれは完全な慢心だった」
当日の拝殿、当主の祝詞にあわせて小声で唱えはじめた瞬間、視界が歪んだという。空間がねじれ、拝殿奥の鏡の上に浮かんだ黒い球体――直径一メートルほどの、異様な“それ”。
幾重にも注連縄が巻かれた、衛星のような球。その隙間から、黒い液体のようなものが染み出し、影となって拝殿を這い、当主へと伸びた。だが、当主の手前でピタリと止まる。まるで見えない壁があるように。
「そのとき、ようやくわかった」
それは“神”などではなかった。
むしろ、封じられた“何か”。触れてはならないもの。
影は清助さんに気づいたのだ。
「見つかった」
気づいた瞬間、影がゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。膝に触れた瞬間、世界が闇に沈んだ。
次の瞬間、両目、両耳、鼻に、焼けた鉄を突き刺されたような激痛。意識が飛びかけながらも、何かが“脳”そのものを撫でまわす感触があったという。全身が痙攣し、声にならない叫びをあげた中、頭の奥に響いた声。
「イッポン……ツナガッタ」
……目覚めたとき、病院のベッドだった。右腕にはギプス。医者は「転んで骨折したんだろう」と言ったが、清助さんは覚えていた。
本家の当主に真相を尋ねたところ、あれは代々封じ続けている“存在”だという。名もなく、意志も明確ではなく、ただ“そこにいる”だけで人を狂わせる力を持っている。
千五百年以上前、朝廷が鉱山開発のためにその地を開こうとした際、あまりに人が狂うため、神と巫覡の一族を遣わし、それを封じた。以後、その地に住み続けてきたのが本家の一族。
再建されたZ神社は、その存在を封じるための“器”であり、注連縄が増えるたび、封は強くなっている……かもしれない。
「じゃあ、なんで俺は無事だったんですか?」
清助さんは首を振った。
「運が良かったんだと思う。もしかしたら……興味を持たれたのかもしれない」
腕は完治しているのに、今も全く動かない。
「多分、“イッポン繋がった”って言ったのは、腕を媒介に繋がったって意味だったんだろうな。だからこの腕を動かせるのは、俺じゃなくて、あれだけなんだ。封が弱まったら、勝手に動き出すんじゃないかな……」
そう言って、彼は笑った。でもその目は、まるで笑っていなかった。
この話を聞いて俺は、背筋に冷たいものが這い上がるのを感じた。
というのも、心当たりがあるのだ。
本家の長男――要一(仮名)と俺は小学校の同級生だった。あいつは本当にいいやつだった。
だが、六年の時に転校してきた茂というヤツが、なぜか要一に敵意を向けるようになった。顔も良くて人望もある要一に嫉妬したのかもしれない。
ある日、茂が要一を階段から突き落としたらしい。だが、要一はほとんど無傷だった。
その翌日。茂の家に雷が落ちて、彼は亡くなった。両親は無事だったのに。
偶然だ。雷なんて自然現象だ。そう思いたい。でも……俺の祖母がいつも言っていた言葉がある。
「本家の人には、何があっても失礼をしてはいけないよ。あの人たちは、少し違うんだからね」
違う? 何が? なぜ?
今になって、その言葉が、まるで警告のように聞こえてくる。
(了)
[出典:13 本当にあった怖い名無し:2010/03/25(木) 00:04:28 ID:DPDXOqQS0]