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短編 r+ 怪談

水の音の家 rw+5,123

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ホームヘルパーという仕事を知っていますか。

お年寄りの家へ通い、ご飯を作り、掃除をし、時にはオムツを替える。人の暮らしにそっと寄り添いながら、淡々と日常を回していく仕事です。

結婚を機に一度は仕事を辞め、子育ても落ち着いて時間を持て余すようになった頃、資格を取って少しだけ働いてみようと思い立ちました。自分の都合に合わせて働けると聞いていたのも、背中を押されたきっかけです。

最初は先輩のヘルパーに同行して覚えていく。数回の見習いを経て、三件目にして初めてひとりで訪問することになった家があります。

広くて古い造りの家に、おばあさんがひとりで暮らしていました。同行のとき、先輩がぽつりと言いました。

「ここ、ちょっと気持ち悪いでしょ……陰気臭いんだよね」

軽く笑って受け流したものの、確かに家全体に湿った匂いが漂っていました。とはいえ、おばあさんが普段使う居間や寝室は改装されていて、床暖房に明るい照明。生活空間だけは不自然なほど清潔に整えられていました。掃除もその範囲だけでいいと聞かされていたので、内心ほっとしたのを覚えています。

それでも、初めてひとりで訪問する日は朝から胸がざわついていました。玄関のチャイムを何度鳴らしても返事がなく、しんとした空気が庭先にまとわりつく。

ためしに玄関の引き戸を引くと、鍵はかかっていませんでした。

「こんにちは……」

声をかけても応えはなく、代わりに水の流れる音が奥から聞こえてきました。台所の蛇口が出しっぱなしになっているらしい。もう一度声を張り上げても、返ってくるのは沈黙だけでした。

仕事とはいえ、勝手に他人の家へ上がるのはためらわれます。けれど同行のときは、返事がなくてもそのまま上がっていました。玄関先でさんざん迷った末、「お邪魔します」と声を残して足を踏み入れました。

居間へ向かいましたが、やはりおばあさんの姿はありません。あたりはやけに静かで、水の音だけが残っていました。仕方なく台所で蛇口を閉める。金属的な音が止むと、家の沈黙がいっそう濃くなった気がしました。

車で帰りを待とうかと考えながら回れ右したとき、居間の奥から「ガタッ」と、何かを置くような音がしました。寝室のほうです。

具合が悪くて寝ているのかもしれない。そう思って寝室を覗くと、布団はきれいに整えられ、人の気配はありません。奥のふすまを開けると物置の和室で、積み上げた段ボールと古びたタンスが並んでいるだけでした。

嫌な気配が胸を締めつけました。ここに長くいてはいけない。ふすまを閉め、急ぎ足で居間を出ます。

トイレの前を通ると、戸はしっかり閉じられていました。中に人はいない。覗く必要はない。そう思いながら、心の中で「これは安否確認のためなんです」と必死に言い訳をしていました。

玄関へ戻ろうとした矢先、また「ガタッ」と鳴りました。今度は場所が特定できません。家全体がどこかで息をしているような、不気味な沈黙に包まれていました。

玄関に近づいて、ふと気づきました。靴がないのです。私のもの以外、一足も。おばあさんが家にいるなら、少なくとも一足はあるはずなのに。

背中に氷を押しつけられたような感覚に襲われ、慌てて靴を履こうとした瞬間でした。

「ウ~~~~~~~~~」

呻きとも笑いともつかない女の声が響きました。続けざまに、二階から「ガタンッ」と大きな音。

体が固まりました。けれど、もしおばあさんが二階で倒れているなら助けなければ。恐怖と職業意識の板挟みになり、気がつくと私は階段を駆け上がっていました。

二階に上がると、先ほどの騒音が嘘のように静まり返っていました。四つの部屋はどの扉も閉じられ、廊下の突き当たりには本棚やカラーボックスが雑然と並んでいる。その隙間から、小さな女の子がこちらを覗いているように見えたのです。

「えっ……」

瞬きをすると、影は消えていました。けれど振り向いた拍子に、廊下の端の部屋の入口に、紺のトレーナーにジーパン姿の女が立っているのが見えました。のっぺりとした、目鼻のない顔。それなのに、こちらをじっと見つめていると確信できました。

胸が裂けるように恐ろしく、私は階段へ一目散に駆け下りました。肩にそっと手を置かれたような感触を無視し、靴を履いて引き戸を開け、外へ飛び出したのです。

振り向くまいとしていたのに、視線が勝手に引き寄せられました。玄関の上がり口。猫が伸びをするような格好で、あの女が這いつくばっていました。今度ははっきりと顔が見えました。肩まで整えた黒髪に、濡れたように光るウェーブ。頬の形も、唇のゆがみも思い出せるのに、不思議と目だけは記憶からすっぽり抜け落ちています。

私はその日のうちに「もう続けられません」と会社に伝えました。別のヘルパーが代わりに訪問することになり、私は制服をクリーニングに出して返却。そのまま退職しました。

制服を届けに行ったとき、同行してくれた先輩と鉢合わせしました。気まずさを隠せずにいると、先輩が小さな声で言いました。

「あの家ね……ほかにも怖い目にあった人がいるんだよ。おばあさんは悪い人じゃないんだけど、行ける人が限られちゃうんだ」

理由は詳しく聞かされませんでした。ただ、あの家の仏壇には、若い女の人と、小学生くらいの女の子の遺影が並んでいるのだそうです。

今もあの家では、水の音と、誰かの足音がしているのかもしれません。

[出典:783:本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/11/28(土)10:36:04ID:XTH0+9xH0]

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