三年前の正月、赤坂の日枝神社へ初詣に行った。
あの日は空が澄みきっていて、陽はやわらかく、風もないのに頬だけがひやりと冷たかった。都心とは思えないほど静かで、足音までよく響いた。誰かに呼ばれた、というより、そこへ行かなければならない気がした。
山王の急な階段を見上げ、深呼吸をしてから登りはじめた。朱塗りの鳥居が朝日に照らされ、眩しいほどだった。あと数段で境内に入る、というところで、右の脇腹に鋭い痛みが走った。
内側から指を差し込まれ、ねじられたような感覚だった。息が止まり、思わず手すりに掴まった。吐き気がこみ上げる。それでも、痛みそのものより、「ここから先へ行けない」という感覚のほうが強かった。
足が前に出ない。後ろには下がれるのに、鳥居の下だけが重い。
しばらく階段の途中でうずくまっていると、痛みは嘘のように引いた。様子を見ながら再び上る。鳥居の直前に立ち、そっと足を踏み出す。
また、同じ場所が、同じように、強く疼いた。今度ははっきりと、内側で何かが絡まり合う感触があった。呼吸が浅くなる。身体が拒んでいるのか、それとも、身体を使って何かが拒んでいるのか、区別がつかなかった。
その日は境内に入らなかった。笑い話のように思えたが、笑えなかった。階段を下りると痛みは消え、背後の鳥居だけが異様に遠く感じられた。
それから二ヶ月、体調はどこか鈍く崩れていた。だるさと食欲不振、寝汗。年齢のせいだと片づけられ、婦人科でも異常なしと言われた。検査の数値は正常、という言葉が、やけに軽く響いた。
三月の真夜中、右脇腹が裂けるように痛んだ。布団の上で身を折り、声も出せず、冷たい汗が止まらなかった。何かが内側で回転し、締めつけ、引きちぎろうとしていた。
気がつけば救急車の中だった。
診断は、右卵巣嚢腫茎捻転。右側に十六センチの嚢腫があり、それがねじれて血流を止めていたという。もう少し遅れれば破裂していた、と淡々と説明された。
十六センチ。拳より大きい塊が、ずっと私の中にあった。
手術は成功した。摘出された嚢腫の写真を見せられたとき、あの日の鳥居の前で感じた「ねじれ」が、ふいに重なった。
退院してしばらくしてから、もう一度日枝神社へ行った。同じ道を歩き、同じ階段を上った。
右脇腹は静かだった。
鳥居の前で立ち止まる。あの日と同じ場所。痛みは来ない。足を踏み出す。何も起きない。あっけないほど簡単に、境内へ入れた。
拍子抜けしたまま、手を合わせた。あの拒絶は何だったのか。警告だったのか、単なる偶然だったのか、それとも、通してはいけない何かがあったのか。
考えはまとまらないまま、境内をあとにした。
鳥居をくぐり、階段を下りようとしたとき、視界の端に白い影が立っているのに気づいた。三歳くらいの女の子だった。白いワンピースに、赤い髪留め。朝の光の中で、輪郭だけがくっきりしていた。
その子が、鳥居の手前で足を止めた。
小さな手が、右の下腹を押さえる。身体をわずかに折る。その動きが、あまりにも正確だった。
私は思わず立ち止まった。駆け寄るべきか迷う。その瞬間、右脇腹が、かすかに疼いた。ほんの一瞬、糸のような感触が内側で引きつる。
視線が合った。
子供は泣かない。ただ、じっとこちらを見ている。助けを求めるでもなく、責めるでもなく、確かめるような目だった。
次の瞬間、後ろから母親らしき女性が現れ、子供の手を引いた。子供は何事もなかったように歩き出し、鳥居をくぐった。止められた様子はない。
私は階段の上に取り残された。
自分は通れた。あの子は止まった。けれど、結局あの子は入った。拒まれていたのは、私だったのか。あるいは、あの日、何かが私の内側でねじれたまま、あの場所に残っているのか。
摘出されたはずの右側が、また静かに疼く。
その感覚は、痛みというより、境界に触れた記憶のようだった。
鳥居を振り返ると、朱の内側がわずかに暗く見えた。光の加減かもしれない。そう思い直し、階段を下りた。
以来、ときどき右脇腹がかすかに引きつる。検査では異常なし。医師は問題ないと言う。
それでも、あの鳥居の前を通るたび、身体の奥で何かがわずかに動く。
拒まれたのか、止められたのか、通されたのか。
あの日、私は境内に入らなかった。
あるいは、入ってしまったのかもしれない。
[出典:352 :可愛い奥様:2019/01/25(金) 11:32:27.25 ID:U6VIsqU00.net]