三年前の正月、赤坂の日枝神社へ初詣に行った。
あの日は空が澄んで、陽が柔らかくて、風もないのに頬が少しだけ冷たかった。都心とは思えないほど静かで、まるで神様に会いに行くためだけに用意された朝のようだった。
会社の同僚たちはそれぞれの実家に帰っていて、ひとりきりの正月だったけれど、それが却って清々しく思えた。毎年初詣は混雑を避けて三が日を過ぎてからにしていたけど、ふと思い立って出かけたのだ。誰かに呼ばれたような気もしていた。
山王のあの急な階段を見上げて、深呼吸をしてからゆっくりと登りはじめた。鳥居がすぐそこに見えた。朱塗りが太陽に照らされて、まぶしいくらいだった。
そのとき、右の脇腹に鋭い痛みが走った。つきたての餅のように、どこかよそよそしくも自分のものではある肉の奥で、何かがねじれた気がした。ほんの少し吐き気もあったけれど、それよりも「境内に入れない」と感じたことのほうが、不思議だった。
何かに拒まれている。そんな気がした。
痛みは階段の途中で少し和らいだ。再び鳥居の前に立ち、深呼吸して進もうとすると……また、同じところが、同じように、ずきん、と。今度はもっと強く、あきらかに、入るな、と言われているようだった。
歩を進めることができない。けれど後ろには戻れる。目には見えない透明な壁が、鳥居の手前に立ち塞がっている。
私は少しだけ笑った。冗談みたいだな、と思った。お腹をさすりながら、ベンチに腰を下ろした。痛みはやがて消えたけれど、もう一度鳥居をくぐろうとすると、また激しく疼いた。
神様に嫌われている気がした。女の神様だったはずだ。理由は何だろう? そんなことを考えながら階段を下り、暖かい日差しのなか、私は帰路についた。行き交う人たちは皆、神社へと向かっていた。私だけが、何かを引きずりながら逆流していた。
そのまま初詣は諦めた。あの静かな拒絶感が、どうにも拭えなかったのだ。
そのあとの二ヶ月は、どうということのない日々だった。仕事が少し忙しかったくらい。体調は……まあまあ悪かった。秋ごろからずっと、だるさと食欲不振、あと妙な汗があった。でも歳だし、更年期だろうと医者には言われた。婦人科にも行ったけど、異常なしだった。処方されたのは、当たり障りのない漢方薬だけ。
そして、三月。
真夜中、唐突に右脇腹が裂けるように痛んで目を覚ました。冷たい汗が全身を濡らして、布団の上で這い回ることしかできなかった。吐き気というより、何かが喉から逆流しそうだった。
気がつけば、救急車の中だった。意識はもうろうとしていた。
診断は、右卵巣嚢腫茎捻転。聞いたこともなかった。右側に十六センチもの嚢腫ができていて、それがねじれて血流を止めていたらしい。医者の顔が、妙に遠く感じられた。
緊急手術。成功。命は助かった。
術後の説明では、もう少し遅れていたら破裂して腹膜炎になっていた、と言われた。つまり、死んでいたかもしれない。
……十六センチ。卵のような、拳のような、それが私の中にずっとあって、誰にも気づかれなかった。誰にも。
けれど、あの神社の神様は――女の神様は――それを見抜いていたのではないか。あの鳥居の前で私を止めたのは、警告だったのではないか。
そう思うと、背筋が少しだけ冷えた。
人間はときどき、理由もなく「進めない」と感じるときがある。それは怠惰や臆病ではなく、もっと深くて、わからないものに引き止められているのかもしれない。
退院して、春の光が柔らかくなったころ、私はもう一度、日枝神社へ行った。
前回と同じ道を歩き、同じ階段を上り、同じ鳥居の前に立った。
痛みは、なかった。驚くほどに、すんなりと鳥居をくぐれた。
境内は穏やかで、空気が澄んでいた。木々が揺れて、鳥のさえずりが遠くで聞こえた。私は手を合わせて、静かに目を閉じた。あれは私を拒んでいたのではなく、守っていたのだ。そんな気がした。
けれど。
帰ろうとしたときだった。ふと振り返ると、鳥居の前に小さな子供が立っていた。年のころは三歳くらいだろうか。白いワンピースに、赤い髪留め。妙に印象的な姿だった。
その子が、鳥居をくぐろうとして、ぴたりと止まった。
その場で、苦しげにお腹を押さえたのだ。まるで、私のあの日のように。
思わず駆け寄りそうになって、足を止めた。母親らしき人がすぐ後ろから来て、その子に何か言って手を引いた。子供は何事もなかったように笑っていた。
私の脇腹が、すこしだけ疼いた。
あれは、なんだったのだろう。あの子にも何かがあるのか、それとも……。
いや、もう考えないことにした。
神様の領域は、神様に任せておくのがいちばんいい。
そう思いながら、神社をあとにした。鳥居の向こうには、春の陽射しが降っていた。
[出典:352 :可愛い奥様:2019/01/25(金) 11:32:27.25 ID:U6VIsqU00.net]