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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

八年目は終わらない nw+316-0215

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一九九七年六月二十六日。薄曇りで、アスファルトがぬめるような午後だった。

M町の繁華街。雑居ビルの壁面に設置された巨大スクリーンではJリーグ中継が流れ、実況がけたたましく響いていたはずなのに、俺の立っていた歩道の一角だけは、水を含んだ布を被せられたように静まり返っていた。

当時の俺はホストのバイトをしていた。
金よりも、くだらない承認欲求に飢えていた頃だ。金髪に黒のスーツ。真夏の日中には不自然な格好だった。

ポケットのPHSを開くと「アト二〇フンデトウチャクナリ」の表示。舌打ちしながら煙草を咥えたときだった。

通りの向こう、百メートルほど先に、ひとりの少女が立っていた。
隣には年上らしき女性。ふたりでアイスを食べている。何の変哲もない光景だ。

だが少女だけが、動かなかった。
瞬きもせず、アイスにも口をつけず、ただこちらを見ていた。
いや、俺を、ではない。俺の奥にある何かを覗き込むように。

やがて、ふたりはこちらへ歩いてきた。
すれ違う、その一瞬。

少女は、ふわりと笑った。

「あと八年後やねー」

耳元で囁かれたわけではない。
それでも、声は確かに俺の鼓膜を震わせた。

振り返ったときには、もう姿はなかった。
人波の中に溶けたのではない。
人の流れ自体が、そこだけ一瞬、途切れていた。

同伴で来た客に話すと、「何それ、気味悪い」と笑われた。
俺もそれ以上考えないことにした。

それから八年後。
二〇〇五年十一月。
俺はひとりの女と出会った。
紹介で会った、ごく普通の女性だった。

どこかで見た顔だと思ったが、思い出せなかった。

結婚した。
穏やかな生活だった。
だが二〇〇九年七月五日、彼女は亡くなった。
長い闘病の末だった。

葬儀が終わり、遺品を整理していたとき、一冊のアルバムを見つけた。
ページをめくる。
旅行の写真が並ぶ。

そして、手が止まった。

M町のKビル前。
アイスを持つ若い女性が二人、ピースサインで笑っている。

ひとりは若い頃の妻。
もうひとりは――あの日の少女だった。

裏面の日付。

一九九七年六月二十六日。

俺があの街角に立っていた日と、同じ。

写真をよく見ると、奇妙なことに気づいた。
妻はカメラを見て笑っている。
だが少女だけが、カメラを見ていない。

真正面。
レンズの奥。
撮影者の背後――そのさらに先を見ている。

まるで、そこに立っている誰かを見ているように。

その位置は、通りを挟んだ向こう側。
俺が立っていた場所と、ほぼ一致していた。

裏には妻の字で、こう書かれていた。

「なんか運命を感じた旅行かも」

生前、妻はM町の話をしても覚えていないと言っていた。
「あれ、行ったことあったっけ?」と笑っていた。

だが写真は残っている。

「あと八年後やねー」

あの言葉が、出会いを指していたのか。
それとも、結婚か。
あるいは、彼女の死か。

数えてみた。

一九九七年から八年後は二〇〇五年。
出会いの年だ。

だが、出会いから八年後は二〇一三年になる。

今年が、ちょうどその年だ。

最近、妙なことがある。

夜中に目が覚めると、誰かが部屋の隅に立っている気がする。
気配だけだ。
振り向けば何もいない。

だが、耳の奥で、あの声がくすぶる。

「あと八年後やねー」

次の八年は、何を指しているのか。

あの少女は、あのとき、俺を見ていたのか。
それとも、未来の俺の背後に立つ何かを見ていたのか。

写真の少女は、今もそこを見ている。

レンズの奥。
時間の向こう。

俺はもう、あの日の場所に戻れない。
だが、あの日はまだ終わっていない気がする。

湿気を帯びた午後の空気が、喉に張り付く。

八年後。

それが、まだ来ていないだけだとしたら。

[出典:664 :本当にあった怖い名無し:2010/03/29(月) 06:34:01 ID:nbTh4z3/0]

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