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おつかれさまでーす rw+4,373-0131

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母が話してくれたのは、定年退職の少しあとだった。

長く勤めた工場を離れ、ようやく仕事の話を「昔のこと」として語れるようになった頃だ。

母は短大を出てから、その食品メーカーの工場で働き続けた。準社員として入り、結婚と出産で何度か現場を離れながらも、戻るたびに同じ部署に配置され、気がつけば四十年近くが過ぎていた。
扱っていたのは調味部門。大量生産のラインとは少し違い、製品ごとに決まったエキスや色素を、決められた分量で量り分ける仕事だった。

調味室は工場の奥にあった。
騒音の大きい製造ラインから外れた場所で、壁際には資材棚がぐるりと並び、床には台車と計量台、作業台が置かれている。広さはあるのに、視界はいつも棚に遮られていたという。
隣には分析室があり、完成した食品の数値を測る部署が入っていた。二つの部屋は行き来こそしないが、壁一枚隔てただけの配置だった。

急な追加製造が入ると、調味室は残業になる。
母が四十代だった頃、そういう夜は珍しくなかった。

その日も、計量のやり直しが出て、母は一人で残っていた。
袋を開け、粉末を量り、小分けして封をする。甘い匂いと、薬品のようなエキスの匂いが混じる。作業服の袖や手袋はすぐにべたつく。
工場全体はすでに静かで、遠くで換気扇の音だけがしていた。

作業に集中していると、背後のほうから声がした。
「おつかれさまでーす」

母は顔を上げなかった。
分析室の若い人が先に上がるのだろうと思ったからだ。声の調子も、よく聞く挨拶と同じだった。

「はいよー」

そう返事をした直後、調味室の照明が消えた。
突然、棚と作業台が闇に沈む。

一瞬、目を瞬かせてから、母はため息をついた。
照明のスイッチは二部屋分が並んで設置されていて、上が分析室、下が調味室だった。慣れていない人が間違えることは、実際にあった。

そのとき母は、砂糖ではなく粘度のある調味料を量っていた。手袋も作業台もべたべたで、すぐにスイッチに行けない。

「ちょっと、間違ってるよ。つけて」

入口のほうに向かって声をかけた。
返事はなかった。

代わりに、ドアの脇、資材棚の隙間から白い作業服の袖が見えた。
腕だった。
棚の影で全体は見えないが、やけに長く、細い。肘の位置が不自然に低い気がした。

分析室の若い人は小柄で、そんな体型ではない。
他の職員の顔が、順に浮かんだが、誰も当てはまらなかった。

「誰」

口に出した瞬間、カチッという音がして、調味室の明かりが戻った。
同時に、さっきと同じ声がした。

「おつかれさまでーす」

さっきより、少しだけ間が揃いすぎている。
母は違和感を覚えながらも、思わず言った。

「今度は分析室の電気、ついたままだから。消して」

次の瞬間だった。

カチカチカチカチカチカチ。

乾いた音が、連続して響いた。
調味室と分析室の照明が、目の前で切り替わる。明るくなっては暗くなり、また戻る。
規則はない。ただ、操作の速さだけが異様だった。

母は声も出せず、作業台に張り付いたまま、それを見ていた。
誰かが悪ふざけしているようには見えなかった。
スイッチを「操作」しているだけに見えた。

音が止まったとき、両方の部屋は真っ暗だった。

その直後、廊下の明かりが近づいてきた。
残業の様子を見に来た製造課長だった。

母は泣きながら事情を説明し、残りの仕事をすべて置いて、その場を離れた。
課長は調味室に入り、照明をつけ、何もないことを確認したという。

翌日、課長から言われた言葉を、母は今でも覚えている。

「真っ暗な部屋で、動かずに立ってた君のほうが、正直怖かったよ」

その後、古い工場は取り壊され、新しい設備に建て替えられた。
調味室も分析室も、配置は変わったらしい。

ただ、母は最後まで、あの声については説明しなかった。
誰だったのか、なぜスイッチを操作していたのか。
「作業が続いていただけだった気がする」
それだけ言って、話を終えた。

[出典:796 :本当にあった怖い名無し:2012/05/12(土) 09:24:10.39 ID:94wVlapX0]

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