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記憶を借りた宿泊者 rw+2,210-0122

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ある知人から聞いた話を、私は何度も繰り返し思い出している。

正確に言えば、「思い出している」という感覚すら曖昧だ。あの夜の出来事は、最初から自分の記憶だったようにも思えるし、誰かの体験を借りているだけのようにも感じられる。境目が分からない。ただ、皮膚の内側に沈み込んだ感触だけが、今も消えない。

その日、私は東京にいた。
地方に住む私にとって上京は珍しく、仕事の用事を済ませただけで神経を使い果たしていた。昼過ぎには予定が終わり、帰るには中途半端な時間だったため、一泊して翌日に帰ることにした。スマホで見つけた、駅から少し離れた安いビジネスホテルに向かった。

チェックインを済ませたのは夕方だった。
部屋は狭いが、ベッドと小さな机があるだけで十分だった。窓の外はすでに薄暗く、遠くで車の音が反響している。外に出る気力はなく、シャワーを浴びてそのままベッドに横になった。

眠りはすぐ来るはずだった。
だが、深夜、唐突に目が覚めた。

ドン。
壁の向こうから、何かが打ちつけられる鈍い音がした。
規則性はない。間隔も一定ではなく、考える暇を与えないように、不意に鳴る。続いて、空気を裂くような高い音が重なった。泣き声に似ているが、泣いているというより、押し潰されて漏れ出ているような響きだった。

耳を塞いでも意味がない。
音は頭の内側で鳴っているようだった。

さらに、硬いものが無理に曲げられるような音が混じった。金属とも骨とも判別できない、嫌な軋み。私は布団を頭までかぶり、目を閉じた。夢だと思い込もうとしたが、音は現実の時間に合わせて、確かに増減していた。

壁の向こうに、誰かがいる。
そう思った瞬間から、呼吸が浅くなった。

耐えきれず、私は部屋を出た。
エレベーターで一階へ降り、フロントにいた若い従業員に、隣の部屋がうるさくて眠れないと伝えた。彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を整え、「確認します」と言って奥に引っ込んだ。

電話をする声が聞こえた。
ただし、内容は聞き取れない。相手の返事を待つ時間が妙に長かった。

数分後、彼は戻ってきた。
笑顔だったが、目元が落ち着いていない。
「こちらからお話ししておきますので、大丈夫です」
そう言われ、私はそれ以上何も言えず、部屋へ戻った。

音は、止んでいなかった。
むしろ、近くなった気がした。

ベッドに腰を下ろして間もなく、ドアが激しく叩かれた。
ノックではない。叩きつけるような音だった。

覗き穴から見ると、フロントの従業員が立っていた。
さっきとは別人のように、顔色が悪い。額に汗が浮かび、呼吸が乱れている。

ドアを開けると、彼は低い声で言った。
「お客様、すぐにお部屋を移動してください」
理由を聞こうとしたが、彼は視線を私の背後、部屋の奥へ向けたまま、「お願いします」とだけ繰り返した。

私は黙って荷物をまとめた。
彼に促されるままエレベーターに乗り、上階の廊下の一番奥にある部屋へ通された。そこは、妙なほど静かだった。音どころか、外の気配すら感じない。

ベッドに横になると、意識はすぐに途切れた。

翌朝。
チェックアウトの際、昨夜のことを尋ねた。フロントにいた若い従業員は、困ったように口を閉ざし、奥へ消えた。代わりに現れた年配の男性は、深く頭を下げ、「こちらの手違いでした」とだけ言った。

具体的に何の手違いかと聞いても、答えは変わらない。
宿泊料は不要だと言われたが、理由は説明されなかった。

ホテルを出たとき、私は自分がどの部屋に泊まっていたのか、正確に思い出せなかった。
最初の部屋も、移された部屋も、位置関係が曖昧だった。

数日後、知人にその話をした。
だが途中で、私は言葉に詰まった。
自分が体験したはずの細部が、どこか他人の記憶のように感じられたからだ。

今でも夜中に、ふと耳の奥で音が鳴る。
ドン。
それは壁の向こうからではない。もっと近い。
思い出そうとすると、あの従業員が何を見ていたのか、分かりそうになる。

だが、その先は思い出せない。
思い出していないのか、最初からなかったのか、それすら分からない。

ただ、確かなのは、
この話を語るたびに、私が本当にそこから出てきたのか、自信がなくなるということだけだ。

(了)

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