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赤いCB750 rw+2,278-0701

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これは、ダムカードを集めている知人から聞いた話だ。

その人は休日になると、車で遠くのダムを回っていた。目的地はダムそのものというより、管理所や道の駅や観光施設でもらえる小さなカードだった。写真と諸元が印刷されている、あれである。

その日は群馬の山のほうへ行った。

みなかみのダムをいくつか回り、最後に上野村の奥にあるダムへ向かった。カードは日帰り温泉の受付でもらえることになっていたが、着いた時点で夕方五時を過ぎていた。

受付の女の人が、カードを渡しながら言った。

「今日、もう帰るんですか」

「横浜まで戻ります」

そう答えると、女の人は少しだけ手を止めた。

「なら、早めに大きい道へ出たほうがいいですよ」

ありふれた注意に聞こえた。山道は暗くなると危ない。それだけの話だと思った。

彼の車にはナビがなかった。古い車で、地図を助手席に置いて走るのが好きだったという。スマートフォンも圏外になりやすいから、最初から当てにしていなかった。

温泉を出たころには、山の上だけに夕焼けが残っていた。

それもすぐ消えた。

道は細く、白線もところどころ途切れていた。ガードレールの向こうは真っ黒で、窓を少し開けると、沢の音だけが低く聞こえた。ヘッドライトの先に浮かぶのは、濡れたアスファルトと、カーブミラーと、たまに現れる落石注意の看板だけだった。

何度か分岐を過ぎた。

地図では、そろそろ大きな道に出るはずだった。けれど道は広くならない。集落も見えない。街灯もない。

おかしいと思ったころ、小さな案内板があった。

板は古く、矢印だけが白く残っていた。文字は読めなかったが、矢印は右を指していた。

彼は右へ曲がった。

その先で、白い車に追いついた。

人の車を見るだけで、こんなに安心するのかと思ったという。白いセダンだった。古い型に見えた。テールランプが二つ、闇の中で淡く揺れていた。

彼は少し車間をあけてついていった。

ところが、その車は速かった。

こんな山道で出す速度ではない。カーブの手前でもほとんど減速せず、六十キロ前後で滑るように走る。無理についていく必要はなかったが、離されると二度と戻れない気がした。

バックミラーに光が映ったのは、その少しあとだった。

後ろにも車がいた。

いつのまにか、彼の車は二台の車に挟まれていた。前は白いセダン。後ろはライトだけで車種は分からない。こちらが速度を落とすと、後ろの車も詰めてくる。前の車から離れようとすると、不思議なほどカーブが続いて、また同じ距離に戻る。

十分、二十分、三十分。

時計を見たが、時間の感覚がずれていた。燃料計だけが少しずつ下がっていく。

彼はラジオをつけた。

山の中だから、まともに入るとは思っていなかった。けれどすぐに音楽が流れた。

古い曲だった。

「太陽・神様・少年」。

子どものころ、母親が台所でラジオを聞きながらよく口ずさんでいた曲だ。なつかしさで、少しだけ肩の力が抜けた。

曲が終わる前に、男の声が入った。

「それでは、今、この曲をどうぞ」

彼はハンドルを握ったまま固まった。

その声を知っていた。子どものころ、日曜の午後に聞いていた番組の声だった。けれど、そのパーソナリティはもう何年も前に亡くなっていたはずだった。

雑音はなかった。

声は、彼の車の中だけに直接置かれたみたいにはっきりしていた。

その直後、ヘッドライトの端に標識が浮かんだ。

御巣鷹山。

その文字を見た瞬間、体の中の温度が下がったという。

前の白いセダンのナンバーが見えた。

・・49。

反射的にバックミラーを見た。

後ろの車のナンバーは、・・42だった。

彼は数字の意味を考えまいとした。考えたら終わる気がした。考えずに、ただブレーキを踏んだ。

後ろの車も止まった。

前の白いセダンは、少し先で止まった。テールランプが赤く滲んでいる。道はまだ先へ続いていた。だが、その先だけ霧が濃く、ライトが吸われるように消えていた。

彼は引き返そうと決めた。

細い道で何度も切り返し、車の向きを変えた。後ろにいた車は動かなかった。白いセダンも動かなかった。ただ、二台ともエンジン音がしなかった。

ようやく車体が反対を向いたとき、正面の闇にバイクのライトが現れた。

赤い古いバイクだった。

大きな丸いライト。角張ったタンク。たぶんCB750だ、と彼は思った。バイクは道の真ん中で止まっていた。乗っている男はフルフェイスではなく、古い半ヘルのようなものを被っていた。

男がこちらを見た。

顔が濃かった。

冗談みたいに濃い顔だった、と彼は言った。鼻筋が通っていて、目が深く、当時の映画俳優みたいだった。けれど、不思議と怖くはなかった。

男は何も言わなかった。

ただ、片手を上げて、来た道とは別の細い脇道を指した。

彼はその方向へ車を向けた。

バイクは先に走り出した。速度は遅かった。白いセンターラインもない道を、赤いテールランプが一定の距離で先導した。さっきまでなかったはずの街灯が、一本、また一本と現れた。

五分ほど走ると、見覚えのある国道に出た。

彼は息を吐いて、路肩に車を止めた。

バイクに礼を言おうとしたが、もういなかった。曲がれる道はなかった。エンジン音もしなかった。

その夜、彼は何度も休憩しながら横浜へ帰った。

家に着いてからも眠れず、台所で母親にその話をした。御巣鷹山の標識のこと。白い車と後ろの車のこと。ラジオの声のこと。そして最後に、赤いCB750の男の話をした。

母親は途中まで黙って聞いていた。

「その人、顔が濃かった?」

そう聞かれて、彼は笑った。

「濃かった。郷ひろみより濃かったかも」

母親は笑わなかった。

しばらくして、押し入れの奥から古いアルバムを出してきた。彼がほとんど見たことのないアルバムだった。

そこに、一枚だけバイクの写真があった。

赤いCB750の横に、若い男が立っていた。鼻筋が通っていて、目が深かった。冗談みたいに濃い顔だった。

「お父さんよ」

母親はそう言った。

彼の父親は、彼が生まれる前に事故で死んでいた。遺品は父方の祖母がほとんど引き取ってしまい、写真もあまり残っていなかった。彼は父親の顔を、ちゃんと覚えていなかった。覚えるほど見ていなかった。

その晩だけは、助けられたのだと思ったという。

亡くなった父親が、あの山道で自分を見つけて、帰り道まで連れてきてくれたのだと。

ただ、話はそれで終わらなかった。

後日、彼はどうしても気になって、母親にもう一度アルバムを見せてもらった。

赤いCB750の写真の裏に、父親の字で日付が書かれていた。

事故の一週間後の日付だった。

母親に聞くと、そんなはずはないと言った。父親はその日にはもう火葬されていたし、バイクも事故で廃車になったはずだった。

写真を撮れる人間はいなかった。

彼は今もダムカードを集めている。

ただ、山奥のダムへ行くときだけ、必ずガソリンを満タンにする。暗くなる前に帰る。ラジオはつけない。古い白いセダンを見ても、絶対についていかない。

それでも、ときどきバックミラーに赤いライトが映ることがあるという。

そのとき彼は、小さく言う。

「ありがとう、オヤジ」

そう言うと、赤いライトは少しだけ近づく。

まるで、聞き返すみたいに。

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1410191336/]

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