最初のメールは、夜中に届いた。
件名は空欄で、差出人の名前だけが画面の上部に淡く表示されていた。通知音は鳴らなかったはずなのに、なぜかその瞬間、目が覚めた。理由は分からない。ただ、起き上がって受信トレイを開いていた。
文章は丁寧で、礼儀正しく、どこにも非礼なところはない。自己紹介も簡潔で、用件も明確だった。私の歌を聴いたこと、声に透明感があること、いくつかの曲を気に入ったこと。褒め言葉が並んでいた。
だが、読み進めるうちに、妙な感触が残った。
褒め方が、評価というより観察に近い。音程の取り方、ブレスの位置、言葉の切り方。どれも的確で、外れてはいない。ただ、それらは私自身が意識していない部分だった。まだ試してもいない方向性や、考えたことのない変化についてまで、当然のように触れている。
「今の路線もいいですが、次は少し崩した方が刺さると思います」
「その声なら、無理に感情を乗せなくても成立します」
「私は、そういうのを聴いてみたいな」
提案の形をしているが、どこか決定事項のようだった。こちらの選択肢というより、既に定められた未来を確認させられている感覚に近い。
違和感はあったが、害意は感じなかった。よくいる熱心なリスナーだろう。そう判断して、返信はしなかった。
一週間後、二通目が届いた。
また件名は空欄だった。冒頭の挨拶は省かれている。
「前回のメール、届いていますよね」
責める調子ではない。淡々と、事実確認のように書かれている。
「返信がないので、少し心配しています」
「体調を崩されていないといいのですが」
心配という言葉が、やけに重かった。私の生活を想像し、その中に勝手に不安を配置している。その距離感が、じわりと近い。
その翌日、三通目が届いた。
「前回より、半音ほど下がっていましたね」
「息の抜き方が、少し違っていた気がします」
何の話か、一瞬分からなかった。だが、すぐに思い当たる。前夜、非公開のまま録音していたデモ音源だ。まだ誰にも聴かせていない。ファイルはローカル環境にしか存在しない。
背中が冷えた。
聴いた、と書いてはいない。だが、結果だけが書かれている。否定できない精度で。
四通目には、歌詞の修正案が添えられていた。私が仮で書いたまま放置していたフレーズが、原型のまま引用されている。削除候補に入れていた言葉まで含めて。
五通目では、こう書かれていた。
「あなたは、自分の声の使い方を、まだ誤解しています」
誤解しているのは私で、正しい位置は相手が知っている。その前提が、文面全体を支配していた。
それ以降、返信していないにもかかわらず、メールは届き続けた。時間帯は、毎回深夜二時前後だった。私は二時三分だと思い込んでいたが、ある日、ふと時計を見ると二時五分だった。いつもと同じ内容なのに、少しだけズレている。そのズレが、なぜか不安を増幅させた。
内容も変わっていった。
「今日は少し不安定でしたね」
「声が逃げていました」
「でも大丈夫、戻せます」
何を基準に言っているのか分からない。それでも、妙に具体的で、否定しきれない言い回しだった。自分でも気づいていなかった違和感を、先に言葉にされている気がした。
決定的だったのは、ある一文だった。
「あなたが今、画面を閉じようとしているのが分かります」
その瞬間、マウスを握る手が止まった。確かに、閉じようとしていた。返信画面を開くことすらせず、ただ受信トレイを閉じるつもりだった。
それ以降、メールは来なくなった。
安堵したのも束の間、今度は別の場所で、同じ文章を見るようになった。動画のコメント欄、匿名掲示板、使っていないはずの共有フォルダに残されたテキストファイル。
文末は、いつも同じだった。
「あなたに最適化された、美しい人生を」
ある夜、録音中に気づいた。ヘッドフォンの奥で、自分の声に、わずかなズレが混じっている。歌っていないはずの音程が、確かに存在している。
そのズレは、不快ではなかった。むしろ、整っているように聞こえた。
誰かが、正しい位置に戻そうとしている。
(了)