法事で実家に戻ったのは、たしか、去年の夏だったと思う。
久しぶりの帰省だったから、何となく落ち着かなくて、法要が終わった夜、親戚一同が帰ったあと、私は居間で叔父とふたり、ビールを開けた。
酔いがまわってきた頃、叔父が唐突に言った。
「この家な……昔、ちょっと変なことやってたんだよ」
そう言って、目を細めながら天井を見上げた。
私が尋ね返すと、叔父は笑いながら手を振ってごまかそうとした。けれど、気になると止まらない性分なので、もう少し聞かせてと詰め寄った。
どうせ酔った勢いの与太話だろうと、気楽な気持ちで。
叔父の話は曖昧だったが、要点はこうだった。
昔、この家――つまり、私の実家の家系は、土地の領主からある種の「権限」を預かっていたらしい。
命を与え、奪うことすら許される権限。まるで神官か、処刑人か、そんな印象だ。
その家に代々伝わる因習として、「山の鬼」に少女を捧げるという儀式があったという。
初潮を迎える前の少女を家系の中から選び出し、山の中の井戸に、紐でぐるぐる巻きにして吊るす。
三日後に引き上げると、ほとんど骨になっているそうだ。
叔父はその詳細を知らず、ただ「そう聞いたことがある」という言い方だったが、これを面白がって語るには、話の内容がやけに生々しかった。
私は笑って聞き流した。
もちろん、怖いとは思った。けれど同時に、どこかで信じていなかった。
因習、鬼、儀式……そんなのは怪談話のテンプレみたいなものだろうと。
それに実家は、そんな話に似つかわしくない場所だ。
山奥の旧家でもなければ、広大な敷地や土蔵があるわけでもない。
ただの、ちょっと古めの、田舎の住宅街にある一軒家。
けれど、次の日、私は何気なく母にこの話をした。
すると、思いもよらない反応が返ってきた。
「えっ、それ知ってる!懐かしいなぁ……」
母はまるで、昔の遊びを思い出したような顔をして、くすくす笑った。
話しているうちに興が乗ってきたのか、母は少女時代の記憶を少しずつ引きずり出していった。
祖母――つまり父の母が語っていた話だという。
「夏の怪談みたいなもん」と前置きしながらも、語られる内容はぞっとするほど具体的だった。
少女は、夜に連れ出される。
まだ幼い、身体の軽い子。
縄で巻かれ、声が出ないよう口も塞がれる。
山の頂上付近にある井戸のような穴へ、逆さに吊るす。
虫や小動物が身体を喰らうのだと、祖母は言っていた。
けれど村の大人たちは、石でできた顔を持つ「石鬼神(イオキ)」が肉を食べていると本気で信じていたらしい。
私はその話を聞きながら、どこか現実感のない絵本の読み聞かせでもされているような感覚だった。
怖いけれど、それ以上に不思議だった。
だって、そんなことが本当にあったなら――誰も生きていられるはずがない。
実家に帰ってから数日後、夫にこの話をすると、彼は妙に興奮しながら言った。
「それ、ネットで見たことあるぞ!確か『イオキ』ってタイトルのやつ!」
彼はパソコンを開き、古い掲示板のスクリーンショットを次々と表示させていった。
確かに似ていた。内容も地方も、まるで我が家のことのようだった。
「俺も法事、行きたかったなあ……」
夫はそう言って笑ったけれど、私はその時、胸の奥に冷たいものを感じていた。
だって、私の中にもその「家系の血」が流れているのだ。
もし、あの儀式が本当にあったのだとすれば……
もし、何かがまだ山にいるとしたら……
いったい私は、何の末裔なのだろう。
母から聞いたもう一つの話がある。
それは、母がまだ幼い頃のこと。
徳島の山奥の村に住んでいた時の話だ。
ある晩、親戚が集まり「大事な話」をしていたという。
母と兄は、隣の部屋に寝かされた。
けれど、話し声が気になって眠れなかった母は、襖の隙間から、大人たちの声を聞いたという。
「洋子はまだ若いから、イオキ様のご機嫌がとれんやろ。今やったら、晴海やで……」
晴海――それは、母の従姉妹の名前だ。
意味は分からなかったが、母は直感的に、自分が選ばれなかったことに安堵したらしい。
翌日、晴海の両親は赤く腫らした目で家に戻ってきた。
その一週間後、晴海は山で「事故に遭って亡くなった」と連絡が来た。
母の兄は、晴海の葬式で棺を担いだ。
あとから彼が母にだけ打ち明けたのは、「棺が異様に軽かった」ということ。
「誰も入ってなかったんちゃうか」と。
それから間もなく、母の家族は村を出た。
完全な夜逃げだったという。
「逃げてからもしばらくは、山狩りされたで。親戚連中が血眼になって探しとってな……。とうとう行き場なくなって、小屋に隠れたんや。そしたら松明持った叔父さんが来てな、でもその人は言うてくれたんよ、『はよ逃げ』って。父さんと母さん、何度も頭下げて、私のこと担いで逃げたんや……」
その話を、私は二十歳を過ぎた頃に聞かされた。
母は、それまでその話を封印していた。
けれど、ある晩の夕食後、静かに言った。
「この話は、誰にも言うたらあかんよ。あんたらがここにおること、知られたら大変なことになる」
母は笑っていたが、目は笑っていなかった。
今の私は、東京の住宅街で平和に暮らしている。
夫と、娘と三人で。
近くには保育園も公園もあって、町内会のイベントにも毎年参加している。
けれど、娘が今年七歳になり、ふとした拍子に笑いながら「おばあちゃん、また山に行きたいって言ってたね」と言った時、私はぞっとした。
母がそんなことを言うはずがない。
この街には山などないし、母はもう遠く離れた老人ホームにいるのだ。
娘の言う「山」とは、どこのことなのだろう。
誰が、彼女に囁いたのだろう。
もしかして、まだ、終わっていないのではないか。
あの血が、あの因習が、どこかで生きているのではないかと、そう思ってしまう夜がある。
(了)
[出典:290: 本当にあった怖い名無し 2015/07/29(水) 13:31:47.96 ID:FGzhxuQb0.net]