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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

鳴っていない時間 nc+

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半年ほど前、職場で体験した話だ。

私は特別養護老人ホームで介護職として働いている。曜日感覚は早い段階で失われた。日曜だろうと祝日だろうと、利用者にとってはただの一日で、こちらもそれに合わせて動くだけだ。その日も日曜日だった。

昼食後、フロア全体が静まり返る時間帯がある。テレビの音も小さく、車椅子の軋む音や、遠くのナースコールがかすかに聞こえる程度になる。その隙を見て、私は溜まっていた事務作業に手を付けることにした。利用者家族に送る行事案内の印刷だ。

現場にはパソコンはあるが、プリンターがない。仕方なく、もう一人の職員に声をかけ、コピー機のある総務課へ向かった。

総務課は、平日は事務員が数人いて賑やかだが、休日は電話番として一人だけが残る。その日は、今年入社したばかりのAさんだった。若く、物腰が柔らかく、いつもどこか余裕がある人だ。

「休みの日は一人で大変じゃない?」
「そうですね。でも静かなので仕事は進みます」

そんな取り留めのない会話をしながら、私はコピー機に用紙をセットし、枚数を入力した。機械はすぐに動き出し、一定のリズムで紙を吐き出し始めた。

しばらくその音を聞いているうちに、別の音が混じっていることに気づいた。

か細く、高く、耳の奥を直接叩くような音だった。機械音ではない。火災報知機のエラー音にも似ているが、もっと軽く、鈴に近い。安っぽいお守りについている、小さな金属の鈴を、誰かが延々と振り続けているような音だった。

コピー機の異音かと思い、顔を近づけてみたが違う。音は一定で、機械の動きとは噛み合っていなかった。視線を巡らせると、部屋の隅にある物置の扉が半分ほど開いているのが見えた。音は、その奥から聞こえている。

印刷が終わり、コピー機は止まった。だが、鈴のような音だけは残った。静かな室内で、その音だけが浮いている。妙に輪郭がはっきりしていて、聞こうとしなくても耳に入り込んでくる。

背中に冷たいものが走った。

理由はわからない。ただ、この音は、ここにあってはいけない気がした。何かが近づいているというより、すでに中にあるものが、存在を知らせているような感覚だった。

「あのさ、変な音してない?」

私は努めて平然とした声で、Aさんに聞いた。自分の勘違いであってほしかったし、もし私にしか聞こえていないのなら、その方がまだ説明がつくと思った。

「鈴みたいな音なんだけど」

Aさんは少しだけ顔を上げ、物置の方をちらりと見た。

「ああ、あれですか。たまになりますよ」

拍子抜けするほど軽い返事だった。

「何の音?」
「わからないんですよ。前に先輩たちと一緒に探したんですけど、何もなくて」

「でも、物置から聞こえるんだよね」
「そうなんです。中に入ると、音が反響しちゃって、どこから出てるのかわからなくなるんです」

Aさんは、困ったような、でもどこか慣れた表情でそう言った。

「どれくらい鳴るの?」
「一日に一回か二回ですかね。時間はバラバラです」

「怖くない?」

思わずそう口にすると、Aさんは小さく笑った。

「最初はちょっと。でも、三分くらいで止まるので。ほら」

その言葉に合わせるように、音は唐突に途切れた。スイッチを切ったように、完全に消えた。

「ね」

私は返事ができなかった。気味が悪くて、用事が済むとすぐに総務課を出た。

その後も、総務課に行くたびに、あの音のことが頭をよぎった。鳴っていない時でも、ふと耳を澄ましてしまう自分がいた。気にしないようにしているつもりだったが、逆に意識しているのが自分でもわかった。

何より引っかかっていたのは、Aさんや他の事務職員たちが、あの音を「異常」として扱っていないことだった。原因不明で、音源も特定できない。それでも業務に支障がないという理由だけで、なかったことにされている。

まるで、危険なものがすぐそばにあるのに、誰もそれを危険だと認識していないような、落ち着かない感覚だった。

それからしばらくして、また総務課であの音を聞いた。前よりも、少しだけ音が大きくなっている気がした。距離が近づいたのか、私の耳が慣れたのか、その違いも判然としなかった。

「あの音、まだするんだね」

そう言うと、Aさんは頷いた。

「そうですね」

一拍置いて、彼女は続けた。

「最近、鳴る回数が増えた気がします」

その言葉を聞いた瞬間、なぜか私は安心してしまった。増えているのは、自分の感覚だけではないのだと思えたからだ。

だが、同時に気づいてしまった。

いつからか、私は音が鳴る時間を正確に覚えていない。三分だったはずなのに、五分だった気もする。そもそも、鳴っていない時間の方が短く感じることもある。

それなのに、不思議と業務に支障はない。誰も困っていない。誰も騒がない。

私自身も、最近では総務課に行くのを避けなくなっていた。むしろ、用事がなくても足を向けることがある。音が鳴っているかどうか、確かめるためなのか、それとも別の理由なのか、自分でもはっきりしない。

昨日、総務課に入ったとき、音はしていなかった。

それなのに、なぜか落ち着かなかった。耳の奥がざわついて、無意識に物置の扉を見ていた。

あの音は、本当に鳴っていないのだろうか。
それとも、もう聞こえなくなっただけなのだろうか。

最近、Aさんは物置の扉を、以前よりも開けっぱなしにしている。
理由を聞いたことはない。
誰も、聞こうともしない。

[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「茉莉花 ◆YKNRA59o」 2018/12/23]

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