俺の実家には、なにか“いる”。
正確に言えば、いるらしい。
自分には見えない。昔からそういうものが一切わからない。
だが、見える人には、はっきりと見えるという。
身長は二メートルを超え、肩幅は門柱みたいに張り出し、異様なほど鍛え上げられた人型。
直立不動で、実家の玄関の土間に立っている。
置物のように動かず、門番みたいに、ただ前だけを向いて。
右手には、日本刀。
刃の錆は黒く沈み、研がれた気配だけが生々しく残っている。
声は出さない。ただ、近づくなという意思だけが、圧のように滲んでいるらしい。
見える知人は、誰ひとり玄関を越えたがらない。
一度だけ、そういう友人を泊めたことがある。
翌朝、顔色を失ったまま、玄関を振り返りもせず言った。
「入った瞬間、胃が縮んだ。あれ、人間じゃない」
自分には何も見えないし、霊感商法にも興味はない。
ただ、昔から、家に関してだけは奇妙なことが多かった。
怪談で有名な宿に泊まっても、肝試しに行っても、家族の誰一人として何も起きない。
厄だの呪いだのという話が、うちに限っては一切入り込んでこない。
子どもの頃は、家相がいいんだろうと思っていた。
それが勘違いだったと知ったのは、中学生のときだ。
親戚の法事で、普段は閉め切られている床の間が開けられた。
中に、異様に長い桐箱が置かれていた。
蓋を外すと、黒漆の鞘に納まった日本刀が現れた。
祖父が誇らしげに言った。
ご先祖の刀で、由緒のあるものだと。
そのとき、叔母が低く言った。
「それ、触るなよ」
声の調子が、冗談じゃなかった。
昔、あれを蹴った馬番が、その場で潰れた。
刀のある部屋でくしゃみをした奉公人が、数日後に鼻を腐らせて死んだ。
盗みに入った者は、肩から腕をもぎ取られたみたいな姿で見つかった。
質屋に持ち出されたときは、持ち主の息子が店先で頭を割られて倒れた。
誰かが作った怪談だと思った。
だが、どの話も具体的で、妙に細部が一致していた。
廃刀令の時代、手放そうとした当主の夢に、鬼が立ったという。
加工しようとした職人は、刃を入れた瞬間、自分の手首を落とした。
共通しているのは一つだけだった。
この刀は、不快なものを許さない。
刀そのものに何かが憑いているわけではないらしい。
本体は、あくまで鉄と刃。
だが、その在り方が、周囲に歪みを作る。
その歪みが、形を取ったものが、実家の玄関に立っている。
刀を核にして、そこに集まったもの。
誰かが呼び出したとも、守らせたとも言われている。
先祖が、意図的にそうしたらしい。
凶相を、凶相のまま外に出すのではなく、家の外に向けて固定した。
守らせる対象は家であって、人間ではない。
だから、家族の指示は通らない。
敷地を穢すと判断されたものを、勝手に選び、勝手に裁く。
古い抗争映画に出てくる、理屈の通じない番犬みたいな存在だ。
俺はそいつを、冗談半分で「うちの893」と呼んでいる。
最近、その893に関する問題が持ち上がった。

祖父が高齢になり、実家を処分して、うちの近くへ越してくることになった。
当然、あの刀も一緒に来る。
ということは。
玄関に立っていた“それ”も、移動する。
うちは築三十年の分譲住宅だ。
床の間も、仏間もない。
祀る理由も、由緒もない。
そんな場所に、あれを置いてしまっていいのか。
俺の玄関に、あの存在が立つことになるのか。
見えない俺には、たぶん何も起きない。
だが、来客はどうなるかわからない。
すでに引っ越しの日は決まっている。
刀は桐箱に収められ、段ボールに紛れて運ばれてくる予定だ。
何が起きるかは、まだわからない。
ただ、最近になって、インターホンの前で立ち止まる宅配業者が増えた気がする。
気のせいだと思っている。
そう思うことにしている。
もし近いうち、誰かがうちを訪ねて、玄関を越えた瞬間に何か起きたら。
そのときは、またここに書く。
書ける状態でいられたら、だが。
もし、この先、何も投稿がなかったら。
そのときは、そういうことだと思ってくれ。
見えない俺には、関係ない話だ。
たぶん。
(了)
[出典:52 :本当にあった怖い名無し:2020/04/13(月) 00:42:45.41 ID:OfoDkbxA0.net]