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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

黒衣の読経 nw+322-0113

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血の気が引くような出来事が、あの日立て続けに起きた。

季節は梅雨の始まりで、湿った空気がじっとりと肌に貼りつく午後だった。俺は仕事の都合で、郊外にある一軒の貸家を訪ねていた。築十五年ほどで、外見だけ見れば特別古いわけでもない。塀も門も新しく、いわゆる幽霊屋敷の類とは程遠い。だが、敷地に足を踏み入れた瞬間、時間の進み方が微妙にずれるような感覚だけはあった。

住人を仮にAさんとしておく。玄関先で挨拶を交わすと、彼は俺の顔を見て一瞬だけ目を見開いた。

「……普通に入って来られたんですね」

理由を尋ねると、この家には噂があるらしい。庭の柿の木で、以前の住人が首を吊ったという話だ。単なる都市伝説ではなく、近所では事実として語られているとのことだった。

だが俺には、霊感というものがまったくない。自慢でも何でもなく、本当に何も感じない。夏になるたび、今年こそは何か見るだろうと思っているが、これまで一度も達成されたことがなかった。

Aさんの話では、この家に「合わない人」は門の前で吐き気を催し、泣きながら帰ってしまうのだという。しかし俺は門をくぐっても、玄関に立っても、靴を脱いで中へ入っても、何も起きなかった。埃っぽい匂いと、湿気を含んだ空気があるだけだ。

「相当ですね……」

Aさんは困ったように笑った。階段の踊り場では逆さに女がぶら下がるというので、俺はわざとその場で軽く跳ねてみせた。和室には血まみれの男が這って出るというから、畳に寝転んで天井を眺めてみた。それでも、背筋が冷えることも、耳鳴りがすることもなかった。

結局、何事もなく一通り確認を終えた。Aさんは「お守り、いらなかったですね」と呟いた。確かに、同僚たちは念を押すように「絶対持って行け」と言っていたが、俺の鈍感さは健在だった。

異変が起きたのは、その帰り道だ。車に乗り込み、エンジンをかけた瞬間、携帯が鳴った。母からだった。仕事中に電話を寄こすことなど、ほとんどない。

「……あんた、今どこにいるの」

声が低く、妙に張りつめていた。事情を聞こうとしても「大したことじゃない」と繰り返すだけで、「帰りに寄りなさい」と言って電話は切れた。

夕方、実家に立ち寄ると、母は青白い顔で居間に座っていた。湯のみを持つ手が、わずかに震えている。

「今日の昼ね、居間で少し寝てたの」

うたた寝の最中、半開きの襖の向こうを誰かが横切った気がしたという。来客だと思い、廊下に出ると、人影はそのまま和室に入っていった。

覗くと、黒い袈裟を着た坊主が一人、畳に正座していた。声をかける間もなく、低く重たい読経が始まった。母は反射的に正座し、手を合わせた。ありがたいものだと思ったからだ。

だが、時間が経つにつれて違和感が膨らんだ。顔に見覚えがない。黒い袈裟も、聞き慣れない節回しの読経も、まるで葬式のようだった。

その時、廊下側の障子の向こうに、別の気配が立った。母がそっと障子を開けると、そこに立っていたのは、亡くなったはずの父だったという。

驚く母に向かって、父は一言だけ告げた。

「……そんなもんに、茶なんか出すな」

それだけ言うと、廊下の奥へ消えた。

母はその言葉で我に返った。和室に戻ると、坊主は変わらず読経を続けていた。空気は重く、畳に沈み込むようで、時計の音さえ遠く感じた。逃げてはいけない、そう強く思ったという。

やがて読経が止んだ。坊主は顔を上げ、母を見据えた。

「……何故だ」

問いかけられた瞬間、母は自分でも驚くほど大きな声を出していた。

「何故なら、私のものだからだ」

言い切った途端、視界が暗転し、母は居間で目を覚ました。胸騒ぎが収まらず、俺に電話をかけたのだという。

話を聞いた俺は、自分がその時間、曰く付きの家にいたことを伝えた。母はしばらく黙り込み、それから吐き捨てるように言った。

「……やっぱり、関係あるんだ」

「じいちゃんが守ってくれたんでしょ」と俺が言うと、母は首を横に振った。

「分からない。あの人が言ったのは、守る言葉じゃなかった気がする」

あの坊主が何をしに来たのか。父の言葉が警告だったのか、それとも別の意味だったのか。母が口にした「私のもの」という言葉が、何に向けられたものだったのか。

何一つ、はっきりしない。

ただ一つ確かなのは、俺があの家で何も感じなかったことと、母があの場で何かに応じてしまったという事実だけだ。

俺は今も、幽霊を見ない。見えないままだ。だが、それが本当に「見えない」だけなのか、それとも「見ない側に回っている」のか、自分でも分からなくなっている。

今夜も、何も現れないだろう。
だが、現れないこと自体が、すでに何かの結果なのだとしたら。

考え始めると、胸の奥がじわじわと冷えてくる。

――あの日、あの家で、俺は本当に何も連れて帰らなかったのだろうか。

[出典:125 :本当にあった怖い名無し:2011/05/29(日) 18:26:24.83 ID:QiOEhOE+O]

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