昭和五十四年、秋の東京。
応接間のカーペットは、濡れたように暗く沈んでいたという。深紅の毛足が、二つの身体の輪郭を吸い込んでいた。中年の女性が二人、抱き合うような姿勢で倒れていた。目は見開かれ、どこか一点を見つめたまま固まっていた。
家の主である精神科医は、不在だった。
犯人のSは、その家で五時間待っていたと供述している。拘束した妻と母親の前で、ただ黙って座っていたという。医師が帰宅すれば話をするつもりだった、と。
だが九時を過ぎても帰らなかった。
「もう待てなかった」
それが、二人の首に刃を入れた理由だった。
Sはかつて記者だった。翻訳も通訳もこなし、職を転々としながらも文章で食べていた。だがある時期を境に、筆が止まった。
精神科での診断記録には「暴力性」「幻聴」とある。
一度きり、十五分の面談。
その後、彼は脳の一部を切除する手術を受けた。チングレクトミーという名称がカルテに残っている。
術後の彼は変わった。怒らなくなった。泣かなくなった。笑わなくなった。
だが周囲の証言は食い違う。
「穏やかになった」
「空っぽになった」
「もともと変わっていた」
どこからが手術の影響で、どこまでが彼自身だったのかは、誰も断言できない。
同じ病棟にいた女性が自殺した。彼女も同じ処置を受けていた。
「誰でもない何かになった」と、彼女は看護師に漏らしていたという。
その数日後、天井から吊られていた。
Sは言った。
「あの医者が殺した」
それは本当に医師への告発だったのか。それとも、自分の内部にある空洞を外側に置き換えただけだったのか。
逃走中、池袋駅で職務質問を受けた。所持していたナイフから事件が発覚する。
取り調べの過程で、脳内に微小な器具片が残存している可能性が示唆された。異常な脳波パターンも記録された。
しかし裁判所は責任能力を認めた。無期懲役。
Sは判決に納得しなかった。
「無罪か死刑でなければ、この手術の意味がない」
その言葉が示していたのは、免責の要求だったのか、それとも断罪への希求だったのか。
服役後、彼は国家を相手取り、「自殺する権利」を認める訴訟を起こす。棄却。
理由は簡潔だった。自死権は法的に認められていない。
現在もSは服役中とされる。
だが刑務所の図書館で、奇妙な記録が残っている。
彼が何度も借りていたという本、『精神を切る手術』。
その余白に、かすれた鉛筆でこう書かれていた。
「ぼくの脳を返せ」
だが筆跡鑑定は行われていない。
あれが本当にSの文字だったのか、確認した者はいない。
もしあの文字が彼のものでなかったとしたら。
あるいは、彼の脳が本当に返されたのだとしたら。
あの応接間で、最後に壊れたのは誰だったのか。
医師か。Sか。
それとも、十五分で他人の脳に刃を入れると決めた、私たちの側なのか。
事件記録には、いまもこう記されている。
《犯人S、動機不明》。
(了)