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アイという名の男 r+1,613

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小学生の頃、近所に〈アイ〉と呼ばれていた中年の男がいた。

いや、正確には、誰も彼の本名を知らなかった。みんな、彼がいつも発していた奇妙な声、「あいっ!」から、そう呼ぶようになったのだ。

毎日決まった時刻、午後三時すぎ。ランドセルの波が商店街を流れる頃、ギシギシ音を立てるママチャリにまたがり、カゴには何も入っていない。手にはベルの代わりに錆びた笛。口で鳴らしてるわけじゃない。何か、風の具合で、自然に鳴ってるのだ。妙に生々しく、遠くからでも「あいっ!」の声とともにその笛の音が聞こえてくると、背中がぞわりとする。

その男は、なぜか低学年の男子児童にだけ近づいては、ぎゅうっと抱きつく癖があった。猫が獲物に飛びかかるみたいに、突然だった。かといって怒鳴ったりはしない。むしろ嬉しそうな顔で「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。だから最初のうちは、俺も何が起きたのか分からなかった。

三年生くらいになると、もう狙われない。四年になったら完全に無視される。奇妙な選別だった。

ある日、当時仲が良かったカズキが、アイに「どうして女の子には抱きつかないの?」と聞いた。するとあの男は一拍おいてから、やけに真面目な顔でこう言ったのだ。

「だって、女の子にやったら警察が来るからね」

……その瞬間、背筋が凍った。男のくせに男の子ばかり狙ってるくせに、自分の行為が危ない橋を渡っていることは理解してるんだ。それも、かなり正確に。そう思ったら、今まで「ちょっと変わった人」くらいに捉えていた感覚が、急激に暗い穴の底へ落ちていった。

だが昭和という時代のせいか、あの男を通報するような大人はいなかった。学校も、噂は知ってたと思う。けれど、誰も深く関わりたがらなかったんだろう。せいぜい「知らない人にはついていくな」と言う程度だった。

ある夏の夕方。俺たちは近くの用水路で遊んでいた。全長五十メートルくらい、水深は膝下。けれど場所によっては急に深くなっていて、小さな子なら足をとられる。

下級生のユウキが、遊んでいた拍子に足を滑らせた。まるでコマが転がるみたいに、ごろんと横に倒れて、水に沈んだ。

……その瞬間だった。

「だいじょおおぶっ!!」

あの男の声が響いた。どこから現れたのか、走ってきたのだ。汗びっしょりのまま、水の中に飛び込んだ。チャリはその辺に投げ捨てたのだろう。ぴょんと跳ねるような動作で、見事にジャンプし、ユウキのいるあたりへ一直線に――

ズンッという音がした。水が一瞬高く跳ね、飛び魚のように泡が立ち、アイの姿が見えなくなった。

「頭、ぶつけたんじゃないか?」

誰かが小さく言った。深くもない水底に、何か突起があったのかもしれない。石か、鉄くずか。

俺たちは唖然としたまま、水面を見ていた。泡がぶくぶくと浮かんできて、そして……それっきりだった。

ユウキはというと、びしょ濡れのまま、何ごともなかったように自分で岸にあがっていた。

「なんか、水飲んだだけ……」

彼の手には、金色のボタンが握られていた。たぶん、アイのシャツについてたものだ。

その日を境に、アイは姿を消した。ママチャリも見かけなくなった。大人たちは「実家に帰ったんじゃないか」とか「精神病院に入れられたのかも」とか好き勝手言っていたが、結局のところ真相は分からないままだった。

ただ、それからしばらくして、川の下流で男の遺体が上がったという噂を聞いた。新聞には載らなかった。あるいは、誰にも身元が分からなかったのかもしれない。俺たちの間では、それはアイだということになった。

あれから何十年も経った。

俺はいま、あの町には住んでいない。けれど、先日ひさしぶりに帰省したとき、ふと思い出して、例の用水路を見に行った。夏の日差しは昔のまま強く、雑草がぼうぼうに生え、水は流れていなかった。

立ち止まって、じっと水底を見ていると、何かがこちらを見返している気がした。

……水の中に、あの笛の音が聞こえた気がしたのだ。「ひゅうっ……」と、風に鳴るような音。

そして、

「あいっ」

という声。

背中がぐにゃりと溶けそうになった。振り返っても誰もいなかった。ただ、あの声の主だけが、確かに俺の耳元で囁いていた。

小学生でも、大人でも関係ない。ただ、アイは今も――誰かを探している。

きっとそうに違いない。

[出典:450 :本当にあった怖い名無し:2021/12/16(木) 00:37:17.67 ID:KEDCB7VP0.net]

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