枝打ちを生業にしている男から聞いた話だ。
山奥での作業中、急に霧が出た。最初は薄かったが、数分で林道の先が見えなくなったため、その日の仕事は切り上げることにした。
道具をまとめ、来たはずの林道を戻る。だが、車を停めた場所に着いても、そこにあるはずの軽トラックがない。林道は一本道で、駐車できる場所も限られている。間違えようがない。
霧はさらに濃くなり、音が吸われるように消えていく。焦って林道沿いを何度も往復したが、車は見つからない。携帯で連絡を取ろうとしたが、圏外だった。
仕方なく徒歩で下山し、国道沿いの知人宅まで辿り着いて事情を話した。知人は首を傾げながらも、自宅まで送ってくれた。
家に着くと、男は言葉を失った。
軽トラックは、いつも停めている駐車場に、何事もなかったかのように停まっていた。
山に入った痕跡もなく、泥も付いていない。
腑に落ちないまま家に入り、作業着を脱いだところで気づいた。
携帯と財布を入れたポーチがない。
山仕事に行く時、ポーチは必ず車内に置く。ポケットには入れない。長年の習慣だ。
だが、車の中にも、家の中にも、そのポーチはなかった。
後日、林業仲間にその話をすると、妙な顔をされた。
「あの日、お前、一人で山に入ったのか?」
今どき、奥山で単独作業はしない。事故が起きれば助からない。
男は答えられなかった。誰と入ったのか、思い出せなかった。
霧の出た時間帯、山に入った人数。
そこだけが、どうしても抜け落ちている。
[出典:602 :聞いた話 ◆UeDAeOEQ0o :2012/10/03(水) 23:50:11.00 ID:42I9eXvv0]