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ポチの家 r+4,163

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私は数年前まで、ある一家に「飼われていた」……

今こう書いてみて、なんとも奇妙な言い回しだとは思うけれど、他に説明のしようがない。思い違いや夢にしてはあまりに生々しく、かといって現実だと信じ切るには、この世界の理から遠く離れている。

私はごく普通に育った。平均的な成績、地味な顔、華もなければ闇もない人生。関東の大学を出て、そのまま関東の企業に内定をもらい、実家から引っ越して独り暮らしの部屋を借りた。卒業式の数日後、部屋に転がり込み、電気カーペットの上で携帯をいじっていたのが、私が「私」だった最後の記憶。

そこから先の記憶が途切れている。

気づいたら、どこかの家の中だった。知らない部屋。和室もあるけど洋室が多い、どこにでもあるような一軒家。間取りや家具の配置まではっきり覚えている。だというのに、どうしても「自分がその家に入っていった記憶」だけがない。

そして私は、その家で「ペット」として暮らしていた。

首輪をされていた。青い、ホームセンターのペットコーナーに売っているような、犬用のもの。着ていたのはスウェット地の服で、毎日違う色。茶色、ベージュ、グレー。地味だけれど清潔感のある匂いがした。人型のまま二足歩行していた。鏡を見れば、そこには普通に人間の私がいた。

それなのに、私はポチとかゴンとか、そういう名前で呼ばれていた。誰かの愛犬としての名で。

一家は三人。三〇代前半くらいの夫婦と、小学校中学年くらいの女の子。その女の子――私は心の中で「お嬢さん」と呼んでいた――が、私の主だった。

毎日、彼女がご飯を運んでくれる。パンやおにぎり。私の口元に直接、手で持って食べさせてくれる。私はそれを当たり前のように受け入れて、うれしそうに食べていた。飲み物は水。ペットボトルを逆さにして、ストローのようなものをつけた、あのウサギのケージによくある仕組みで。

トイレは和式。私専用のトイレが家の隅にあった。お風呂には毎日は入っていなかったが、髪はきちんとブラッシングしてもらっていたから、不潔に感じたことはなかった。

時間の感覚も曖昧だった。朝、お嬢さんに起こされ、ご飯を食べて見送る。父親はスーツで出勤。母親は仕事部屋に籠る。私はリビングの深緑のカーペットの上にある、無印良品の人をダメにするソファでうとうとしながら一日を過ごす。

役に立っていない。でも、それがとても幸せだった。

お嬢さんはたくさん話しかけてきた。「今日、これ着ていい?」「赤と青、どっちが好き?」私は必要最低限しか返事をしなかったけれど、それが当たり前だった。言葉はあった。だけど、意思は希薄だった。

その生活がどれくらい続いたか分からない。短いわけがなかった。感覚的には数ヶ月、もしかすると半年くらい。春から夏に変わった記憶もあるような、ないような……。でもそれは、たった十日間だった。

戻ってきたのは突然だった。

いつものようにソファで横になっていた。お嬢さんが庭からリビングへ戻ってきた気配がした。名前を呼ばれ、振り返ろうとした、その瞬間――。

私は、都心の交差点に立っていた。

肩を動かしただけのつもりだったのに、視界が一変した。信号待ちの人混みの中にいた。知らない服ではなかった。「ちょっとそこまで」の服装、いつものリュック。携帯はポケットにあり、日付は卒業式から約二週間後。

なにもかもが、「あの世界」を否定していた。

あまりのことに呆然としていたら、ベビーカーを押した女性に「通ります」と言われて、ようやく我に返った。その瞬間から、現実が滑り戻ってきた。私は、そのまま駅に向かい、家に帰った。

家に置いたままの花が枯れていた。卒業祝いに後輩からもらった花で、花屋をしている母親に教わりながら毎日水をやっていたものだった。たった十日で枯れるはずがない。

……私は、戻ってきていた。でも、どこから?

あれが夢だとすれば、長すぎる。リアルすぎる。家の匂い、スウェットの手触り、ソファの柔らかさ、お嬢さんの笑い声。すべてが今でも鮮明に思い出せる。電車に乗っている時、ふとあのシャンプーの匂いに似た香りが漂ってくると、振り返ってしまう。

それでも、戻ってきた世界では、たった十日が過ぎただけだった。

お嬢さんの名前は今でも覚えている。でも書かない。彼女は本当にいたのか。私の心が作り出した幻なのか。考えても考えても、分からない。

……それでも、ときどき夢であの家に帰る。お嬢さんが「おかえり」と言ってくれる。私は首輪をつけたまま、頭を撫でられる。目覚めた瞬間、夢でよかったと安堵する自分と、夢だったことにがっかりする自分がいる。

今、私は都心から少し離れた町で、ただの会社員として暮らしている。何事もない、変化もない、静かな日常。あの家のことを人に話すことはない。……信じてもらえるはずもないから。

だけど、私の中にあの生活の記憶が今も生きている限り、それは確かに「在った」時間だったのだと思いたい。

たとえそれが、どこにも存在しない異界だったとしても。

[出典:513 :本当にあった怖い名無し:2015/01/24(土) 22:07:18.40 ID:9+fFTbph0.net]

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