平成が始まった翌日のことを、今でも鮮明に覚えている。
その頃の自分は中学生で、受験を控えた不安を抱えながらも、塾へ向かう道をいつものように歩いていた。新宿の住宅街の夕暮れ。ビルの影に差し込む橙色の光が、やけに澄んで見えていた。
前方から母子が歩いてきた。母親は二十代後半くらいだったろうか。顔の輪郭はもう曖昧になっているが、そのとき手を引かれていた幼子だけは妙にはっきり記憶に残っている。二歳ほどの男の子で、こちらを見上げる黒い瞳が驚くほど澄んでいた。
胸の奥に熱いものが込み上げ、思わずその子を「平成生まれのコージくん」と心の中で名付けた。名前の由来は、西武の秋山幸二から拝借した、ただそれだけのことだった。声に出したわけでも、誰かに話したわけでもない。すれ違いざまに、心の中でだけ「強く生きろよ」と祈った。
普段なら絶対にそんなことを思わない。けれど時代が切り替わる独特の空気と、幼子のあどけなさが胸を打ったのだ。
それで終わりだった。言葉も交わさず、目が合ったかどうかも曖昧なまま、ただすれ違っただけの一瞬。
だが時折ふと、あの子のことを思い出すことがあった。小学校に上がった頃だろうか、中学生になって反抗期を迎えている頃だろうか……と、勝手に未来を想像しては、どこかくすぐったいような気持ちになった。
けれど十数年が過ぎ、記憶はほとんど忘却の底に沈んでいった。
平成十七年の夏。仕事で神戸に滞在していたときのことだ。蒸し暑い夜、コンビニで煙草と飲み物を買った。レジに立っていたのは、髪を茶色に染めた若い男。年齢は二十歳前後だろうか。
無造作に会計を済ませ、品物を受け取って足を踏み出そうとしたとき、その若者がこちらを見て笑いながら言った。
「どーも。平成生まれのコージです」
鼓膜に届いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
なぜ、その言葉を? 誰にも話したことがないのに。声に出したことすらないのに。
身体が硬直し、振り返ることもできず、曖昧な愛想笑いで「どーも」とだけ返し、そのまま逃げるように店を出てしまった。
外の湿った夜風に吹かれながら、自分の反応を呪った。なぜ問いたださなかったのか。なぜもう一度店に戻らなかったのか。
狐につままれたような感覚のままホテルに戻り、その夜はまともに眠れなかった。思考は堂々巡りを繰り返し、やがてひとつの結論に至る。
――あれは間違いなく「聞き間違い」ではない。
確かに、そう名乗ったのだ。
「平成生まれのコージです」と。
だが理屈が通らない。
どうして、ただ心の中で名付けただけの幼子が、十数年後に目の前でそう名乗るのか。あのときの少年が成長した姿だとしたら――なぜ自分の内心の呼び名を知っているのか。
その後、何度も「ただの偶然」だと自分に言い聞かせようとした。脳が勝手に言葉を補った可能性も考えた。だが、耳に届いた声はあまりにも鮮明で、曖昧さの入り込む余地がなかった。
そして今でも、あの笑顔が頭から離れない。
どこにでもいるような若者の顔。だが、目の奥には確かに幼い頃に見たあの澄んだ瞳が宿っていたように思えてならない。
もしあのとき勇気を出して話しかけていたら――彼は何を語っただろうか。
あの瞬間、時代の境目で無意識に名付けられた存在が、十数年を経て再び現れた意味とは何だったのか。
今も答えは出ない。ただひとつ確かなのは、あの声が実在したということ。
「平成生まれのコージです」――その響きだけが、いつまでも耳に残っている。
あれから年月が流れ、平成という時代そのものも終わりを告げた。
それでもなお、自分の中で「平成生まれのコージ」は、確かに存在し続けている。
どこかで、今も成長を続け、こちらを見つめているような気がしてならない。
本当にあれが人間だったのか、それとも別の何かなのか……わからない。
ただ、確かに出会ったのだ。
忘れようとしても、忘れることなどできない。
あのときの笑顔が、心に焼き付いて離れない。
[出典:381 :本当にあった怖い名無し:2011/07/14(木) 22:02:57.50 ID:/ske0H7HO]