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泊まったホテルの名前は、もう思い出せない。

いや、思い出したくないのかもしれない。場所は東北だったはずだ。学会での発表があり、大学から派遣された私は、前乗りして一泊する必要があった。地方都市の駅前にぽつねんと建つ、古いながらも小ぎれいなビジネスホテル。フロントの女性がやけに目を合わせてこなかったのが印象に残っている。

部屋は六階。エレベーターの隅に貼ってあった非常口の案内図を、私は無意識に写生する癖で、鞄からスケッチブックを取り出して模写していた。そんなことをする客は珍しいのか、掃除の女性にじっと見られていた。

チェックインしてからの記憶は、妙に断片的だ。テレビもつけなかった。食事もせず、ただ、ベッドに横になって、明日の発表の流れを頭の中で反芻していた。蝉の声が聞こえてくる季節ではなかったはずなのに、窓の外から絶え間なく羽音のようなものがしていた気がする。

それは、夜中の二時を少し過ぎた頃だったと思う。

息が止まった。

本当に、物理的に肺が動かなくなったようだった。手も、足も、動かない。金縛りなどという陳腐な表現では言い表せない、生理的な拘束。呼吸ができず、心臓だけが、どく、どく、と大きく脈打っているのが耳の奥に響いた。

視界の端に、人の影が映っていた。

三人。否、四人か。だが、彼らの姿は「人」と呼んでよいものか、疑わしかった。

鎧兜。胴丸。脛当て。朱塗りの柄を握る手には、生身の熱が通っているとは思えなかった。戦国期の雑兵といった風情だった。だが、何かがおかしい。兜と胴が合っていない。装束が妙に寄せ集めのように見える。乱取りで得た装具を身につけた戦場泥棒の類か。

彼らは、無言でこちらを見下ろしていた。光のない瞳孔が、私の顔に落ちている。通常の反応なら、ここで悲鳴をあげるのだろう。あるいは涙を流すか。私は、学者として致命的な欠陥を、この瞬間に露呈した。

……調べたい、と思った。

装備品の出所を確かめたい。鎧は東日本型か、それとも西国からの流入品か。鉄地の質が悪い。南蛮渡来の影響を受けた鋲打ち式か。刀身が微妙に湾曲しているが、この刃文のゆるみは、駿河の下級刀工の癖に近い。

気づけば、私は頭の中で、自動的に鑑定の段取りを組んでいた。

まず解体。現地で行うわけにはいかないので、写真を……いや、霊体か。撮影不可か。記憶スケッチで補完。材質の推定、接合部分の検証。革の縫製が甘い。匂い……保存状態がよければ、漆の香りが残っているかもしれない。

視界の向こうに、まだ四人が立っていた。

だが、微妙に表情が変化していた。

不快そうに、眉をひそめている。

刀を抜いたままの者は、刃先をそっと下げた。槍を持っていた者は、柄の先を床につけたまま、踵を返しそうな姿勢で動かない。鎧の継ぎ目から、音が聞こえた。ぎし、と。感情の発露とは思えなかった。疲弊のようでも、憎悪のようでもなかった。

……倦怠だった。

私は、彼らを「恐怖の対象」として捉えることに失敗した。

歴史的資料、物証、第一級の検体としてしか認識できなかった。

彼らは、消えた。ぱっと消えたのではなく、仕方なく消えたのだ。まるで「ここではもう用はない」とでも言いたげに。いや、むしろ「ここにいてはまずい」という、退却のような印象だった。

朝になって、私は何事もなかったように顔を洗い、学会会場へ向かった。途中で、街の古本屋に立ち寄って、戦国末期の軍装に関する資料を買い足している。学会では予定通り発表をこなし、何事もなく東京に戻った。

あれから十年以上経つ。

ただ、今でも時々、夢の中に出てくる。

あの四人の背後には、もっと多くの「観られたくないものたち」がいた気がしてならない。自分を分析の対象として覗き込んでくる眼差し。分類され、記録され、体系化されることへの恐怖。

私が、幽霊を「学術的資料」として認識してしまったせいで、彼らは退いた。けれど、逆に言えば、私はもう「観察者」という呪いを引き受けてしまったのだ。もう一度出くわしたら、きっと今度は彼ら、黙っては去らないだろう。

理由は明白だ。
分解されるのは、今度は、こちらだからだ。

[出典:960 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/09/30(火) 14:52:01.73 ID:kzPX0hrY0.net]

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