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ふくらむ息 r+4,641

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徳島の山奥に住んでいた頃の話だ。

十歳の私にとって、祖母と二人で山菜を採りに出かけるのは日常の延長のようなものだった。春の陽射しはやわらかく、川面を撫でる風は土と若葉の匂いを含んでいた。祖母は腰に手ぬぐいを巻き、草籠を背負い、ゆっくりした足取りで山道を登っていく。私はその背中を追いかけるようにして歩いていた。

息が弾み、額にじんわり汗が滲む。祖母が「ここらで一服しよ」と言って腰を下ろしたので、私は待ちきれずに林の中をうろうろし始めた。木漏れ日が揺れる細い獣道を抜けると、視界が少し開け、草が胸の高さほどに伸びた場所に出た。

そこで見たものに、足が止まった。

草むらの奥に、バラックが二軒か三軒、寄り添うように建っていた。どれもトタン板を打ちつけただけの粗末な小屋で、壁は錆びて穴が空き、窓にはカーテンもなく、風にあおられた古い布が垂れ下がっていた。人の住む匂いがあるのに、物音がしない。なぜか胸の奥がざわつき、背筋を汗が伝った。

気配を感じ、振り返った。

茂みの暗がりから、三人の男が立っていた。身長はまちまちなのに、三人ともずんぐりとした体つきで、丸刈りの頭にぎょろりとした大きな目をしている。顔の作りまで不自然に似ていた。親子や兄弟といった似方ではない。どこか粘土細工を同じ型で押し出したような、不気味な均一さがあった。

男たちは頬を膨らませ、顔を真っ赤に染め、私に向かって必死に息を吹きかけ始めた。

「ふぅーっ……ふぅーっ……」

湿った風が耳の奥で鳴るように響き、草むら全体が揺れた気がした。意味もわからず、ただ恐怖だけが込み上げてきた。私は喉の奥から大声をあげ、泣き出した。泣き叫ぶ私の声と、三人の男たちが吹きつける息の音が混じり合い、山の静けさをひどく歪めていた。

彼らは息を吐き続けながら、じりじりと前へ出てきた。茂みを抜け、陽の光にその丸い顔をさらしながら。揃った動作で一歩、また一歩と近寄ってくる。

涙で視界が揺れた瞬間、背後から突然顔を掴まれた。

口を塞ぐ硬い手の感触、鼻を押しつぶされるような圧迫感。息ができずに必死に暴れた。振り返ると、それは祖母だった。

「息、止めれ」

低くかすれた声が耳元に突き刺さった。

止めようにも、祖母は右手で私の口を塞ぎ、左手で鼻を押さえて離さない。酸素が失われ、胸が焼けるように苦しい。もがく私を、祖母はヘッドロックのように抱え込み、地面を蹴って駆け出した。

目の端に、まだこちらを追ってくる三人の姿が映った。頬をふくらませ続けるその顔は、人間というより異形の面をかぶった人形のようで、理解を越えたおぞましさを帯びていた。

祖母は私をずるずると引きずりながら山道まで駆け下り、やっと手を離した。肺に空気が飛び込んだ瞬間、咳き込みながら地面に転がった。祖母はその場にぺたりと座り込んで、声を押し殺すように泣き始めた。

「あの人たちはなァ……可哀相なんだぁ……」

涙で顔を濡らし、肩を震わせる祖母の姿を見て、さらに混乱した。なぜ祖母が泣くのか、なぜ息を止めさせられたのか、幼い私には何ひとつ理解できなかった。

家に戻ってから、祖父にすべてを話した。

すると祖父は私の言葉を最後まで聞かず、祖母の頬を力いっぱい殴りつけた。乾いた音が部屋に響き、祖母は壁に叩きつけられるように倒れた。私は恐怖で声も出なかった。

「余計なことをするな」

祖父は吐き捨てるように言い、それ以上何も語らなかった。

その夜、どうしても気になって祖母に理由を聞こうとした。だが祖母は泣き腫らした目でただ首を振るばかりで、何ひとつ説明しようとはしなかった。

代わりに、夕食の支度をしている祖母に、祖父が突然背後から近づいた。台所に立つ祖母の首筋を、拳で思い切り殴りつけた。

「阿呆が!」

祖母は悲鳴をあげて崩れ落ちた。私はあまりのことに立ち尽くすしかなかった。

それきり、二人の間でその話が語られることはなかった。

しかし今になって思う。あの時、三人の男たちが何をしていたのか。あの吹きかける息は、ただの風ではなかった。祖母が私の呼吸を止めさせたのは、それを吸い込ませないためだったのだろう。

だが、もし祖母の手があと数秒遅れていたら。もし一息でも吸い込んでしまっていたら。私もまた、頬をふくらませながら息を吹きかける側に並んでいたのではないか――そう考えると、今も胸が冷たくなる。

祖母が「可哀相」と言ったのは、きっとかつて彼らも普通の人間だったからだ。山奥に押し込められ、誰にも知られずに変えられてしまった人々。祖父が怒りに任せて祖母を殴ったのは、真実を私に伝えかけたからなのだろう。

あの時以来、山菜採りに行くことはなかった。祖母も次第に体を弱らせ、数年後に亡くなった。真相を聞き出すことは二度とできなかった。

だが春の風が強く吹く日、ふと山の方角を見やると、耳の奥であの音が蘇る。

「ふぅーっ……ふぅーっ……」

頬を膨らませ、必死に息を吹き続ける三つの顔が闇に浮かぶ。あのとき吸い込んでしまっていたら、いま私もどこかの茂みから、同じように見知らぬ子供を狙っているのかもしれない。

それを想像するたびに、背筋が凍りつき、呼吸が苦しくなる。

(了)

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