中学の同級生と再会したときに話したことがあるんだ。
彼に「何か怖い体験をしたことがある?」と聞かれて、ふと昔の合コンの夜のことを思い出した。あれは確か、二十代半ばの頃だった。今思えば、普通の出会いの場で終わるはずが、まったく違うものになってしまった。
当時の俺は関西の大手製薬会社に勤めていた。研究所に閉じこもる仕事で、女性と知り合う機会なんてほとんどなかった。飲み会に行っても相手は同僚か上司ばかり。社内恋愛なんて望むべくもなく、年齢だけが積み重なっていった。そんな俺を見かねた友人が「看護師さんたちとの合コンをセッティングしてやる」と言い出したときは、正直、心が躍った。
休日の午後、海浜公園で集合することになった。参加者は俺を含めた男三人と、看護師さん三人、そして仲介の友人を加えて計七人。……のはずだった。
約束の時間、俺は最初の男性参加者と合流した。年齢も近い穏やかな青年で、すぐに打ち解けた。そのあと女性三人も現れ、雰囲気は悪くなかった。だが、残りの一人と肝心の友人が現れない。電話をすると、友人は急な腹痛で来られなくなったと言う。まるで水を差されたようだったが、仕方がない。問題は三人目の男だった。彼の顔を知っているのは友人だけで、俺たちには分からない。結局「あと十分待って来なければ始めよう」ということになった。
そこで気づいたんだ。すぐそばのベンチに、うつむいて座っている若い男がいることに。なんとなく声をかけ、友人の名前を出すと、そいつはすっと立ち上がり、「じゃあ、行きましょうか」とだけ言った。今にして思えば、不自然極まりない態度だったのに、その場では全員が「三人目だ」と簡単に納得してしまった。
その後の流れはごく普通だった。自己紹介をして喫茶店に入り、公園を散策し、夜は飲みに出た。だが、あの男――仮に「運転手」と呼ぶ――だけはどこか違和感があった。陰気ではないが、返事は妙にそっけなく、何を考えているのか分からない。やがて場は白け、自然と「今日はこの辺で」という雰囲気になった。
帰り際、運転手が言った。「僕は××方面に帰るんですが、誰か一緒の方向はいませんか。車で送りますよ」
俺はその市に住んでいた。電車賃も浮くし、断るのも気が引けて、同じ方向の看護師さん一人とともに便乗することになった。
中古の軽自動車。俺と彼女は後部座席に座った。運転自体は丁寧だった。だがしばらく走ると、奇妙な光景が現れた。道路脇に並ぶ石の地蔵。百も二百も、ライトに照らされて次々と浮かび上がる。どれもこれも破損し、顔が割れ、口が裂け、嘲笑っているように見えた。背筋が冷えた。隣を見ると、彼女も青ざめていた。
そのとき運転手が初めて自分から口を開いた。「このあたりはね、出るそうですよ」
「出るって……何が?」俺が問いただしても、彼は黙ったまま前を見据える。沈黙が車内を満たした。
さらに奇妙なことに気づいたのは彼女だった。「あの……ガソリンスタンド、さっきも通りませんでした?」
確かに同じスタンドや自動販売機が繰り返し現れている。俺たちは同じ場所をぐるぐる回っているのではないか。運転手は笑った。「一本道ですよ。気のせいです」そう言って低く「ヒヒヒ」と笑った。その声は、地蔵の割れ口が発した笑いのように聞こえた。
やがて彼はカーステレオにテープを入れた。だが、音楽は流れない。沈黙だけが続く。俺が尋ねると、彼は言った。「留守中にね、家の中でテープを回しておいたんです。もしかしたら何かが会話しているのが録音できるかもしれないでしょう?」
何か――とは何だ?俺はもう聞き返すことすらできなかった。会話を続けてはいけないと本能で悟った。
その瞬間、彼女が悲鳴をあげた。窓の外に再び異様な地蔵が延々と並んでいたのだ。頭が割れ、目が抉られ、ゲラゲラと笑う顔。
「止めろ!」俺は叫んだ。運転手は無言のまま。それでも車は静かに停まった。俺と彼女は転がるように外に飛び出した。赤いテールランプが遠ざかっていくのを見届けて、ようやく息ができた。
そこに地蔵はなかった。むしろ、海の音が聞こえた。足元に広がっていたのは、最初に集合したあの海浜公園だったのだ。郊外の一本道を走っていたはずなのに、どうしてまたここに戻ってきたのか。分からない。
翌日、友人に確認すると、予定されていた三人目の男は一時間集合時間を間違え、公園に現れたものの誰とも会えず帰ってしまったという。つまり、俺たちが一緒にいた「運転手」は、そもそも存在しない人物だったのだ。
後日、恐る恐る同じ道を車で走ってみたが、あの石地蔵の群れなど影も形もなかった。俺と彼女はいったい、どこを走り、どこへ連れて行かれようとしていたのか。考えるたびに、喉の奥が冷たくなる。
――あの夜の出来事だけは、どうしても夢だったとは思えない。
(了)