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溶けた棒アイス rw+2,097-0104

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福岡の山あいの盆地に住んでいる。

夏になると湿気が逃げ場を失って溜まり、息をするだけで体にまとわりつく。

その日も朝から茹だるような暑さで、庭の草むしりなどするんじゃなかったと後悔していた。腰を伸ばそうとしたとき、道の向こうから見知らぬ若い男が歩いてくるのが見えた。

二十代前後だろう。炎天下なのに汗一つかいていない。妙に整った顔立ちで、風景から浮いているように見えた。こちらを見るなり、ぴたりと足を止め、首を少し傾げて控えめに言った。

「……水、いただけませんか」

喉が渇いた旅人だろうと思った。この暑さだ。断る理由はない。軒先に招き、氷を入れた水をコップになみなみ注いで差し出す。男は目を細め、「ありがとうございます」と言って一気に飲み干した。その所作があまりに自然で、かえって作り物めいていた。

「今年は特に暑いですね」
「ほんとだ。草も伸び放題だ」

たわいない会話だった。それなのに、どこか引っかかる。言葉の間、視線の置き方、身振りの一つ一つが、現実から半拍ずれている。夢の中で知らない誰かと話している感覚に近かった。

確かめるように、もう一杯水を注いで渡した。話題を広げようとして、コロナの話を出した。「このあたりでも、また増えてきてね」

その瞬間、男の目が見開かれた。

「……え。でも、コロナって……もう収まってますよね」

耳を疑った。冗談かと思って笑いかけたが、彼は真顔で、こちらの方が変なことを言っているとでも言いたげだった。

「コロナは、令和七年には終息しましたよ」

「いや、今は令和四年だ」

沈黙が落ちた。蝉の声だけがやけに大きく響く。男の表情が崩れ、血の気が引いていく。

「……そんなはずは……」

冗談半分で言った。「タイムスリップでもしたんじゃないの」

彼は否定しなかった。少し考え込み、ぽつりと呟いた。

「……そうかもしれません」

背中に薄い寒気が走った。けれど、それ以上に胸がざわついていた。好奇心とも、別の何かともつかない感覚だった。

冷凍庫から棒アイスを取り出し、押しつけるように渡した。「おとぼけくん、食べるかい」

彼は驚いたように笑った。「え、まだ売ってるんですか」

たしかに最近は見かけない。だが田舎のスーパーには、当たり前のように並んでいる。

聞けば、彼は令和十八年から来たという。大学生で、夏休みに自転車旅行をしていた。水が切れ、たまたま庭で草をむしっている私を見つけ、声をかけた。彼の自転車は新品のように輝き、泥一つついていなかった。

冗談めかして未来の話をねだった。競馬や株、宝くじ。しかし彼は首を振るだけだった。自分だって昭和に放り込まれたら何もわからない。確かにそうだ。

それでもいくつかの出来事は覚えていると言った。戦争の終わり方。流行病の話。右腕には、治りきらない発疹の跡があった。

「いつ、こっちに来たんだ」

「はっきりとは……気づいたら、この道を歩いていました」

彼は不意に私を見る。

「あなた、令和四年の夏って言いましたよね」

頷くと、彼は眉を寄せた。

「その頃、私は十歳のはずなんです。でも、どんな夏だったのか、思い出せない」

胸の奥がざわついた。

「名前は」

聞く前から、嫌な予感がしていた。彼は少し考え込み、私の苗字を口にした。

同じだった。

言葉が詰まる。「……まさか」

「わかりません。ただ、この家……ずっと気になっていた気がします」

心臓が一度、大きく鳴った。思い出せない誰かの輪郭が、頭の奥で揺れ、すぐ霧散した。

彼は立ち上がり、自転車にまたがった。「家を探してみます」

背中が遠ざかり、坂の向こうに消えていった。

日が傾いても、彼は戻らなかった。家を見つけたのか、別の時間へ行ったのか。それとも、最初から存在しなかったのか。

ふと考える。あの出会いそのものが、私の中に残っていた何かだったのではないか。

自分がかつて過ごしたはずの、思い出せない夏の、欠けた一片。

庭の隅には、ぬるく溶けたおとぼけくんの棒が、今も落ちている。

[出典:19 :本当にあった怖い名無し:2022/08/19(金) 14:26:36.64 ID:r4qDEjWI0.net]

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