俺がまだ大学生だったころの話だ。
駅前でADSLモデムを紙袋に入れて配っていた時代、と言えば、だいたい伝わるだろうか。
当時の俺はWEBチャットに入り浸っていた。
その部屋には、Dさんという男がいた。
自称・霊能力者。
ただし、誰もまともには信じていなかった。
平日の昼に入ってもいる。深夜三時に覗いてもいる。正月にもいる。
だから「長老」と呼ぶやつもいれば、「あれ人間じゃなくてBOTだろ」と言うやつもいた。
Dさん自身も笑って否定しなかった。
外へ出るのが苦手らしかった。
人混みが嫌いとか、引きこもりとか、そういう話ではない。
「見えすぎるんだよ」
一度だけ、そう言っていた。
道を歩けば、普通の人間に混じって別のものまで見える。
電車に乗れば、乗っていないはずの客まで見える。
だからDさんは、だいたい一日中パソコンの前にいた。
そんなDさんと夜中に二人でだべっていたときだった。
いきなり、
「本当は、こういうの言っちゃいけないんだけどさ」
と打ち込んできた。
青木ヶ原でおかしくなった大学生を、五人まとめて除霊したことがあるという。
男三人、女二人。
同じ大学のゼミ仲間だった。
夏休みにキャンプへ行こうという話になり、霊感があるという女子の提案で青木ヶ原を選んだ。
もう一人の女子だけが反対した。
「趣味が悪い」
そう言ったらしい。
けれど、四対一だった。
昼過ぎに森へ入った。
最初は拍子抜けするほど明るかったという。
木漏れ日が地面に落ち、鳥の声もする。
誰かが、
「全然怖くねえな」
と言った。
そこから、少しずつ奥へ入った。
キャンプ道具を置いて、肝試しのつもりでさらに奥まで歩いたらしい。
歌ったり、くだらないことを叫んだりしながら。
誰かが帰ろうと言えば、たぶん全員が賛成した。
あとで五人ともそう言った。
でも、その場では誰も言わなかった。
夕方になった。
森の色が変わった。
そのころ、霊感があると言っていた女子が立ち止まった。
「もう引き返せない」
男の一人が笑った。
「迷った?」
「違う」
女子は、木の間を見ながら言った。
「見られてる」
そこから先は、五人の証言が食い違っていた。
誰かが木に向かって怒鳴った。
誰かが泣き出した。
男の一人が突然走り出して転んだ。
足をつかまれたと言った。
ほかの四人も、しばらくすると歩けなくなった。
足首に何かが絡む。
引っ張られる。
振りほどいて走る。
また転ぶ。
五人が森を出たのは、深夜だった。
昼に入った場所とは、まったく違う場所だったという。
それから全員に同じようなことが起きた。
夜中に部屋で音がする。
寝ようとすると身体が動かない。
目を開けると、顔の近くに黒い目がいくつもある。
寺にも行った。
神社にも行った。
駄目だった。
何人かを経由して、Dさんに話が来た。
五人から順番に話を聞いたDさんは、あっさり言った。
「ついてるね」
ただし、いわゆる悪霊ではないらしい。
「幽霊なんて、そんなに人間を恨んでないよ」
Dさんはそう言った。
「暇なんだよ。だから面白そうなやつがいると、見てる」
俺が、
「見てるだけ?」
と訊くと、
「だいたいはね。人間だってテレビ見るだろ。同じだよ」
と返ってきた。
ただ、一人だけ状態の悪い女子がいた。
最初にキャンプへ反対した子だった。
その子には、男が何人もついているという。
「なんでその子だけ?」
と訊いたら、
「可愛かったんじゃない?」
Dさんはそれだけ返した。
霊にもそういうのがあるのか、と俺は少し笑った。
除霊の方法は、もっとふざけていた。
新宿。
渋谷。
原宿。
銀座。
最後にディズニーランド。
五人を連れて、とにかく人の多いところを朝から晩まで歩き回ったらしい。
「霊ってな、意外と統率取れてないんだよ」
Dさんは言った。
「人混みに入れると、結構はぐれる」
一日目で何体か消えた。
二日目でさらに減った。
最後に夜のパレードを見せたころには、ほとんどいなくなったという。
「お化けの迷子作戦」
Dさんはそう呼んでいた。
五人には、三か月だけ約束をさせた。
霊の話をしないこと。
肝試しをしないこと。
そして、青木ヶ原の話を人に聞かせないこと。
その後、五人の周囲で起きていたことは、ぴたりと止まったらしい。
俺は訊いた。
「結局、なんであんなことになったんだ?」
しばらく返事がなかった。
やがてDさんから一行だけ来た。
「自分たちで呼んだんだよ」
「呼んだ?」
「幽霊のいるところで、ずっと幽霊の話してただろ」
そこで一度、Dさんの入力が止まった。
「見てるだけだった奴まで、こっち向くよ」
なるほど、と俺は思った。
その話を聞いたあとも、俺はそのチャットに通った。
Dさんも相変わらずいた。
ただ、五人の大学生は来なくなった。
相談のとき、一度ずつその部屋に入っていたらしいが、除霊が終わってからは誰一人として姿を見せなかった。
Dさんは、
「もうネットで霊の話したくないんだろ」
と言っていた。
当時のチャットには、発言せずに眺めている人間がいた。
俺たちはそういう連中を、ROMと呼んでいた。
何も書かない。
名前も出さない。
ただ、見ている。
ある晩、部屋には俺とDさんしかいなかった。
くだらない話をしていると、Dさんが突然こう書いた。
「今日は多いな」
「なにが?」
返事はなかった。
しばらくして、
「いや、いい」
とだけ出た。
その直後、Dさんは退室した。
珍しいことだった。
画面には俺一人だけが残った。
そのチャットには、入室者とは別に、ROMの人数が表示されていた。
普段は一人か二人。
多くてもせいぜい三人だった。
その夜は、
「ROM 6」
と出ていた。
俺はなんとなく嫌になって、ブラウザを閉じた。
翌日、Dさんは戻っていた。
昨日のことを訊いたが、
「気にすんな」
としか言わなかった。
あれから二十年以上経つ。
あのチャットサービスも、とっくになくなった。
Dさんがどうしているのかも知らない。
五人の大学生の名前も覚えていない。
ただ、今でも掲示板や配信サイトを開いていて、「閲覧中○人」という表示を見ると、ときどき思い出す。
Dさんが言っていた。
幽霊は、人間を恨んでいるわけじゃない。
暇だから、見ている。
あの夜、画面の向こうにいた六人のうち、
人間が何人だったのかは知らない。
[出典:1493 :2019/07/24(水) 00:40:42.39 ID:36iZg3Ca0.net]