小学三年の冬から、四年生の五月までの記憶が、まるごと抜け落ちている。
自分の口でこんな話をすると、たいていは「冗談だろ」とか「夢でも見てたんだろ」と返される。けれど本当に、そこだけ真っ黒に途切れているのだ。
最後に覚えているのは、校庭でサッカーボールを追っていたときのこと。白い息を吐きながら、友達にパスを出そうと走っていた。その次の瞬間、何の前触れもなく場面が切り替わった。気づけば学校の廊下に立っていて、大きな姿見の鏡を真正面にしていた。
まるでテレビのチャンネルを勝手に変えられたみたいに、唐突で、理解が追いつかなかった。鏡にはぼんやりした顔が映っていた。焦点が合っていない、虚ろな目の自分。その顔がふっと変わって、ハッと我に返ったように、今度は驚愕を浮かべていた。服をつかみ、袖を引き、頬に触れて震えていた。
頬の肉はほんの少しふっくらして、見覚えのない長さに伸びた前髪が揺れていた。わずかに成長した自分を前にして、胸の奥からぞわぞわとした恐怖がせり上がってきた。
そして胸元に下がった名札を見た。「四年一組」と書いてあった。
その瞬間、奇妙な感覚が頭を突き抜けた。思い出せないはずの記憶が、突然「思い出された」ように流れ込んできたのだ。教室の場所、担任の顔、四月の始業式の光景……。知らないはずなのに、確かに知っている。夢で見たことが現実に混じり込むような錯覚に、吐き気がした。
――何が起きているのか分からなかった。
チャイムが鳴り、とりあえず頭に浮かんだ「自分の教室」に向かった。
二クラスしかない学年だから、顔ぶれはほとんど変わっていない。先生も三年のときと同じだった。黒板に文字が書かれ、授業が始まる。机の上に置かれた教科書は、見たこともないはずなのに、ページの端は折られ、落書きもされている。ノートも同じだ。開けば、確かに自分の字が並んでいた。だがその文字を、書いた記憶は一切ない。
頭の中で必死に合理的な理由を探した。自分が勘違いしているだけじゃないか。病気か何かで一時的に記憶を失ったのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、しばらくは違和感を抱えたまま日常を続けた。
けれど、どうしても納得できないことがあった。三年の終わりから四年の春までにあったはずの生活の記憶が、まるで自分だけ切り取られたみたいに存在しないのだ。
運動会の練習、冬休みに遊んだこと、見たテレビ番組……そうした共通の思い出は「知っている」。でも「誰とどんな気持ちで」過ごしたのか、自分に関わる細部はすっぽり抜け落ちていた。
そのうち、ひとつの考えが頭を離れなくなった。
――自分の体を、誰か別のものに使われていたのではないか。
自分ではない「誰か」が、半年近く体の主導権を握って、日々を過ごしていたのではないか。
もしそうだとしたら、あのとき鏡の前で立ちすくんでいた自分は、「奪い返した瞬間」だったのではないか。だからあんなに取り乱した顔をしていたのではないか。
そう思うと、背筋に氷のような冷たさが這い上がった。
家族にも友達にも打ち明けなかった。普段からぼんやりしている性格だったから、「忘れちゃった」と笑えば済んだ。けれど本当は、心の奥底で震え続けていた。自分がどこにいたのか、何をしていたのか、誰に支配されていたのか、分からない半年間。誰にも話せない秘密として胸に沈めた。
それ以来、似たようなことは起きていない。
だが大人になった今、もし再び同じことが起きたら……と考えると恐ろしい。半年どころではない。二年、三年と入れ替わっていたら、気づかぬうちに他人の人生を歩まされているかもしれない。
そう考えると夜も眠れなくなる。
実は一度だけ、妙なことがあった。高校生の頃、ふとした瞬間にまた意識が飛んだのだ。ほんの数秒だった。気づいたとき、手にしていたノートに見覚えのない落書きが書かれていた。文字ではなかった。乱雑な線で、何かの図形のようなものだった。
「またあいつが戻ってきたんじゃないか」
そう思った。震える手でページを破って捨てた。けれどその図形の形だけは、頭から消えてくれない。
あの半年、誰が、どこからやってきて、何をしていたのだろう。
そして今も、身体の奥底に潜んで、隙をうかがっているのではないか。
私はまだ、自分の人生をすべて支配できているとは言い切れないのだ。
[出典:86 :1/3:02/11/19 21:56]