俺が死んだら、骨の半分は海にまけ。
そう言い残す人間を、私は父以外に知らない。
自称ではなく、事実として父は海の男だった。漁船に乗り、港を転々とし、陸にいる時間より海にいる時間の方が長かった。そのせいか、家にいても父はどこか不在だった。波の音が混じった沈黙をまとっているような人だった。
その父が、初めて長期の航海に出る弟にだけは、妙に口数が多かった。
弟は父と同じ水産高校に進み、専門課程へ進学した。船酔いがひどく、港の防波堤に立つだけで顔色が変わるような体質だったのに、なぜか海の道を選んだ。父はそれが嬉しくて仕方がない様子だった。
出港の数日前、父と弟が居間で向かい合っていた。声を落とし、私が聞き耳を立てないようにしているのが分かった。それでも、ひとつだけ、妙に耳に残った言葉がある。
「赤道のあたりで日付変更線を越える。もしそのとき甲板作業になりそうだったら、仮病を使え。船から外に出るな」
弟が理由を尋ねると、父は語気を強めた。
「いいけん。お父さんの言うことを聞け」
怠けや嘘を何より嫌う父が、仮病を勧める。そのこと自体が異様だったが、当時の私は深く考えなかった。ただ、男同士の、理解し合えない会話だと思った。
弟は父の言葉を守った。
赤道付近は荒れる。船は上下に叩きつけられ、船酔いの酷い弟は船内で吐き続けていた。甲板には出なかった。
だが、弟が後で語ったのは、甲板に出ていた三人の話だった。
「越えたあと、三人ともおかしくなった」
三人は同じ班で、同じ作業をしていた。そのうちの一人は、弟の親友だった。日付変更線を越えてから数日後、その親友は突然、帰国したいと言い出した。
母親が重い病気で、今すぐ戻らなければならない。そう訴え、落ち着かない様子で同じ言葉を繰り返した。弟が心配して教官に確認すると、そんな連絡は来ていないと言われた。
それを伝えても、親友は聞こうとしなかった。焦燥だけが顔に張りついていたという。
残りの二人も、理由をうまく説明できないまま、日本へ帰りたいと訴え始めた。泣き出すことも、怒り出すこともなかった。ただ、ここにいられない、という一点だけが異様な強さで残っていた。
結局、三人とも帰国後、学校を辞めた。
航海は続いた。
帰りの日付変更線では、何も起きなかった。弟は甲板にも出ている。
だが、帰港の直前、船に一本の連絡が入った。弟の親友の母親が、数日前に亡くなっていた。
弟は言葉を失った。
赤道付近で親友が訴えていた「今すぐ帰らなければならない」という焦りが、結果として事実だったことになる。
帰宅後、弟は父に尋ねた。
なぜ、あんなことを言ったのか。
父は少し考え、海の方を見て言った。
「海にはな、そういうことがある」
それ以上は語らなかった。何があったのかも、何を見たのかも言わない。ただ、近づくな、知ろうとするな、という態度だけがはっきりしていた。
その後、私は父から何度も海の話を聞いた。嵐、遭難、仲間の死。だが、霊や怪異の話になると、父は必ず話を切り上げた。信じていない、というより、触れないようにしているように見えた。
父が亡くなったあと、遺言通り、骨の半分を海にまいた。
そのとき、ふと気づいた。
父は一度も、日付変更線の向こう側の話をしていない。
危ないのは「越えること」ではないのかもしれない。
越えたと認識したまま、生き続けること。その感覚を、陸に持ち帰ること。
弟はいまも海に出ている。
私は出ない。理由を聞かれるたび、父の言葉を思い出す。
知ろうとしないことが、唯一の安全なのだと。
だが最近、私は弟の子に、同じ忠告をしてしまった。
「海で境目を越えるときは、外を見るな」
その言葉が、誰のものだったのか。
考え始めた途端、潮の匂いが、部屋の中に混じった気がした。
(了)