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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

先に出ていったもの nw+412-0215

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三日目の夜に、私は発見された。

それ以前の記憶は、湿った空気の重さと、水気を失った浴槽の冷たさしか残っていない。

十年近く経った今でも、風呂場に入ると、あのときと同じ匂いが立ちのぼる。洗剤でも、カビでもない。閉じ込められた空気の匂いだ。

同じマンションに住む女に、突然腕を掴まれた。顔見知りではあったが、名前も知らない。抵抗する間もなく部屋に引きずり込まれ、そのまま風呂場へ押し込まれた。手足は縛られなかった。けれど扉の向こうで、重い家具を引きずる音がした。何かを積み上げ、塞ぐ音だった。

「逃げたら殺す」

抑揚のない声だった。怒りも、焦りもなかった。

助けはすぐ来ると思った。同じ建物の中だ。叫べば聞こえる距離だ。しかし声は吸い込まれるように消え、時間は均等に流れなかった。浴槽に腰を下ろし、壁の白さを見つめていると、視界がわずかに揺れる。水は出ない。窓もない。ただ湿り気だけがある。

どれだけ経ったのか分からない。

そのとき、目の前に彼が立っていた。

当時の恋人だった。

「大丈夫か」

あまりにも自然に、そこにいた。幻覚だと思った。けれど彼は扉の方を見て、積まれた家具を避けるように体を傾けた。私は混乱しながら事情を説明した。ここは彼の部屋ではないこと、知らない女に閉じ込められていること。

彼は黙って聞き、部屋番号を尋ねた。

私は階数しか答えられなかった。

「二日経ってる」

そう言われたとき、はじめて自分の感覚が壊れていると知った。まだ半日も経っていないと思っていたのだ。

彼は一度うなずき、「待ってろ」と言って扉に手をかけた。重いはずの扉は、何事もなかったかのように開いた。外に出る背中が見えた。その動きはあまりに自然で、私は叫ぶこともできなかった。

そして、いなくなった。

三日目の夜、警察が来た。

女の部屋は、外から見ると普段と変わらなかったという。ただ、呼び鈴を押しても応答がなく、窓も閉ざされたままだった。それで念のため管理会社を通し、開けたところで私が見つかった。

事情聴取の最中、警察が言った。

「あなたの恋人が、妙なことを話していましてね」

彼は、同じマンションの一室に私が閉じ込められている夢を見たと言ったらしい。夢の中で階数と部屋番号を確認し、目が覚めたと。半信半疑ながらも、その話が頭に残っていたため、聞き込みの際に該当する部屋を調べたのだという。

私は彼に確かめた。

彼は、私が消えてからほとんど眠れず、大学の階段で足を踏み外したと話した。意識を失った瞬間、気づけば風呂場に立っていたと。浴槽の縁、白い壁、私の座る位置まで覚えていた。最後に玄関へ向かい、部屋番号を見たところで目が覚めたという。

「幽体離脱でもしたのかな」

彼はそう言って笑った。

私はその笑顔に救われたと思っていた。

けれど、退院後、気づいたことがある。

彼は、あの部屋の浴室の窓の位置まで知っていた。あの風呂場には窓がない。けれど彼は「窓のない部屋は息が詰まるな」と言った。

私は、その言葉を彼に伝えていない。

それから数年後、彼は亡くなった。

事故だった。

三回忌を迎える今も、風呂場に立つと、水滴の落ちる音がする。実際には蛇口は閉まっている。水は出ていない。それでも、天井のどこかから落ちる。

あのとき、扉を開けたのは本当に彼だったのだろうか。

あの部屋で、私より先に出ていったものは、何だったのか。

夜中、浴室の鏡に立つと、背後の空間がわずかに広く見える。白い壁の奥に、もう一つ、見覚えのある浴槽があるように感じる。

そして、ときどき声がする。

「二日経ってる」

あの声は、私を助けに来たのか。

それとも、まだあの部屋の中にいるのか。

水滴が、また落ちた。

今も。

[出典:409 :あなたのうしろに名無しさんが……:02/11/29 23:26]

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