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ヒロマルが通る道 r+2,730

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昔、おばあちゃんがまだ小さかった頃に体験した話を、生前に何度か聞かされたことがある。

夕飯の後、決まって玄関先の縁側に腰かけて、梅干しを指でつぶしながらぽつりぽつり語るのが癖でね。決して大きな声では話さない。だけどなぜか、ひとことひとことが耳の奥に刺さって抜けなくなる。

「千代子が小学校に上がる前だったかねえ……」

と、そんなふうに始まる。

ある秋の夜、親戚の結婚式に母と二人で出かけた帰り道だったという。月の出ている夜だったそうだ。ちょうど丸くて、白粉を塗ったように不自然に白かったと言っていた。

母の手には、引き出物の入った朱塗りのお重が抱えられていた。中身は赤飯と、煮しめと、蒲鉾、栗きんとん。子どもには持たせてもらえない、いい匂いがしていたのを覚えている。

その帰り道、ぽつんと一本道に女が立っていた。髪は腰まであり、顔はよく見えなかったけれど、着物の柄がやけに古くさいのが目についた。口を開くと、すうっと風が立ったように思えた。

「それ、くださいな」

と女は言った。

母は、咄嗟に自分の身体を私の前に滑らせるように立てて、女に向かって言った。

「これはお祝いのものですから……差し上げることはできません」

別に怒鳴ったわけじゃない。けれどその声は妙に低く、冷たく響いたのを覚えている。女は無言で立ち尽くしたまま、こちらを見ていた。

そして通り過ぎた。

だが、また百歩も歩かぬうちに、今度はその女がまた前からやってきたのだ。

「それ、くださいな」

母はまた同じように断った。けれどそのときにはもう、私の手は冷たく、膝が震え始めていた。

家までの道は何度も通った道だった。大通りから三つ角を抜けて、豆腐屋の角を曲がればすぐに家があるはずだったのに、何度歩いてもその豆腐屋が見えてこない。

さっきと同じ場所を歩いている気がしてならなかった。何度も、何度も。

気づけば三度目、女が道に立っていた。

「それ、くださいな」

風もないのに、女の髪がゆらゆらと揺れている。顔は影になって見えなかった。だが、目だけが妙に赤く光っていたように思えた。

母はしばらく黙って立っていたが、お重の一番上の段をそっと開けて、きんとんの入った蓋だけを取り出して、女の前に差し出した。

女は何も言わずにそれを受け取ると、そのまま闇の中に吸い込まれるようにして消えた。

そして気がつくと、家の前に立っていたという。

「狐が化かしたんやろかねえ……あれは人間じゃなかったよ」

と、おばあちゃんは言っていた。

その後のことを、私はもっと後になって知ることになる。

おばあちゃんの母――つまり私の曾祖母は、ずっと前から“憑きやすい”体質だったらしい。狐や狸に、とにかくよく憑かれていたという。いちばん悪かったのは四年生の頃。曾祖母の身体はどんどん弱って、ほとんど寝たきりになった。

けれど、一匹だけ、変な狐がいたそうだ。

名前をヒロマルと言った。

ある日、いつものように布団に横たわっていた曾祖母が、突然むくりと起き上がったかと思うと、低い声でこう言ったらしい。

「今日はええ天気やな、千代子。わしと相撲とるか?」

狐が憑いた曾祖母の身体は、まるで若い娘のように軽く、元気そのもので、おばあちゃん――千代子と家の縁側で本当に相撲をとったらしい。

曾祖父は、そんな曾祖母の姿を見るたび、泣きながら神棚に祈っていたという。

「憑くなら、わしにしてくれ! この女を苦しめるな!」

すると、その声を聞いた狐が口をきいたそうだ。

「お前は心が汚れとる。だから、いやじゃ」

曾祖父はそれ以来、黙ってしまった。

ヒロマルという狐は、たしかに曾祖母の体を借りて遊んでいたけれど、不思議と曾祖母はそれで体調を少し取り戻していたらしい。おばあちゃんもヒロマルのことは嫌っていなかったという。むしろ、あの狐はやさしかった、と。

曾祖母が亡くなる前夜、夢の中でヒロマルが出てきて言ったそうだ。

「千代子は、わしがずっと守ったる」

それからおばあちゃんは、大きな病気をすることもなく百二歳まで生きた。

あのお重を欲しがった女、何度も道に立っていた顔の見えない女は、ヒロマルが呼び寄せたものだったのではないか、と私は思っている。

あれが狐だったのか、それとも他の何かだったのかは、今となっては確かめようもない。ただ、きんとんを一段分けてやっただけで、なぜあれほど迷っていた道がすっと晴れたのか。

その理由だけが、今でもわからないままだ。

でも、おばあちゃんは言っていた。

「信じてもらえんかもしれんけどね……狐っていうのは、よう見てるんよ、人のことを」

あの夜、おばあちゃんの手を握ってくれた曾祖母の手が、やけに冷たかったと、最後にそう教えてくれた。

……狐が通るとき、空気が変わる。夜が匂う。そういうときは、何かを手放して、黙って歩いたほうがいい。

命より重たいものは、世の中にたくさんあるのだから。

[出典:14 :可愛い奥様:2020/12/14(月) 22:16:32.44 ID:opcj3/+m0.net]

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