小学生の頃、近所の英語塾に通っていた。
田舎町の中ではちょっと変わった存在で、日英ハーフの綺麗な先生が自宅を改装してやっていた塾だった。先生は町内では珍しいほど垢抜けていて、髪の色も目の色も、他の大人たちとは違って見えた。子どもながらに「都会的な人だ」と思っていたのを覚えている。
その塾には近所の子どもたちが集まっていて、授業はもちろん全部英語。先生の娘さんも一緒に手伝っていて、まだ大学生になったばかりの若いお姉さんだった。僕らにとっては憧れの存在でもあった。
塾の恒例行事として、小学校を卒業するとき、春休みに先生が「記念旅行」と称してキャンプや宿泊イベントに連れて行ってくれる習わしがあった。そのときの出来事が、今でも忘れられない。
先生が手配してくれたのは海沿いの貸別荘。リゾートと呼ぶには素朴で、どちらかといえば研修や青少年団体の合宿に使われるような施設だった。けれど、建物自体は立派で、崖に沿うように建てられたロッジからは海が一望できた。リビングの窓からは沈みゆく夕日が海面に映り込み、橙色に輝いていた。あの光景はいまだに目に焼き付いている。
参加したのは先生と娘さん、そして僕を含めた男子五人と女子八人。昼間は浜辺で遊び、夕方には皆でカレーを作った。ルールは「日本語禁止」。どんなに拙くても英語で会話を続けなければならない。それが妙に楽しくて、異性と同じ場所に泊まるという状況もあって、浮き足立っていた。
夜十時を過ぎ、就寝時間になった。女子は天窓のある八畳の部屋に、僕ら男子はソファーが置かれた六畳間に布団を並べて寝た。先生と娘さんは廊下を挟んだ向かいの小さな部屋で休んでいた。
布団に潜り込んでも、興奮が冷めずにしばらく騒いでいたが、やがて一人、また一人と眠りに落ちていった。僕も気づけば夢の中にいた。
真夜中、二時頃だっただろうか。突然、女子部屋から甲高い悲鳴が響き、ドタバタとした物音が廊下を揺らした。飛び起きた僕ら男子は「女子が危ない!」と子どもなりの正義感に駆られ、部屋を飛び出した。女子部屋に駆け込むと、一人の女の子が泣きじゃくりながら天窓を指差していた。
先生が彼女を抱きしめ、必死に宥めていた。僕らが問い詰めると、女の子は震える声で説明した。眠っていると「キコ……キコ……」という音が聞こえ、目を開けると、天窓の外に男が張りついていたという。窓枠を両手で掴み、静かに上下に揺らしていたのだ。
先生が椅子に乗って鍵を確認すると、古びた木枠の錠は半分ほど外れかけており、あと少しで開きそうな状態だった。先生の顔色がさっと青ざめた。
急いで管理人室へ電話をかけようと階下へ降りたが、受話器を取っても反応がない。呼び出し音すら鳴らなかった。当時は携帯電話もなく、完全に外界との連絡を絶たれていた。
先生は娘さんに指示を出した。「私が管理人室へ走る。出たらすぐ鍵を閉めて、皆で寝室に集まりなさい。誰が来ても開けてはだめ。警察を呼んでくるから」そう言い、玄関に立てかけてあった大きなパラソルを握りしめて飛び出していった。
残された僕らは娘さんに促され、全員で先生の部屋に移動し、震えながら身を寄せ合った。時間の感覚は失われ、ただ息苦しいほどの沈黙が支配していた。
……あれから長い年月が経った。
つい先日、帰省した折に友人に誘われて先生の家を訪ねた。今では白髪の目立つ穏やかな老婦人になっていたが、あの頃と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。娘さんはすでに結婚してアメリカに渡っているらしい。
懐かしい話をしているうちに、自然とあの夜の出来事が話題にのぼった。先生はゆっくりと語り始めた。
――別荘を飛び出したとき、山道の脇の藪でガサガサと音がした。誰かが並走しているのだとすぐに分かった。あの天窓の男が、通報させまいとして追ってきていたのだ。
先生は足を止めず、必死に走り続けた。背後から足音が迫り、息が詰まる。タックルされれば終わりだと悟り、手にしたパラソルを後ろへ滑らせた。次の瞬間、派手に転ぶ音がして、足音は消えたという。
管理人室の明かりを目指して駆け込み、窓を叩いた。出てきた老管理人は、先生の顔を見るなり一瞬ハッとした表情を浮かべたそうだ。その顔を見て、先生は直感した。「この人、何か知っている……」
とっさに「救急車を呼びたい」とだけ告げ、電話を借りた。実際には一一〇番を回し、「別荘に男が侵入しようとしている」と叫んだ。そのやりとりを管理人は俯いて聞いていた。
警察に連絡したあと、管理人と共に別荘へ戻った。手にはスコップを握りしめ、いつでも戦えるように構えていたという。部屋に戻ったとき、泣きじゃくる娘さんの姿を見て、初めて恐怖と責任感で涙が溢れたそうだ。
結局、捕まったのは老管理人の息子だった。天窓の鍵の構造を知っていたのも、電話回線を外していたのも、そのためだった。だが事件は大きく報じられることはなかった。施設の母体が地元の有力企業だったからだという。
先生は最後にぽつりと言った。「あのやり方……絶対に初めてじゃないと思うの。何度も繰り返して、味をしめていたんだと思う」
あの別荘はもう存在しない。今はキャンプ場だけが残っているらしい。だが僕の記憶の中では、あの夜の恐怖が今も息づいている。真夜中の天窓に浮かんだ顔と、鍵が外れかけていた木枠の音――あれは子どもの想像ではなく、確かな現実だったのだ。
[出典:422 :本当にあった怖い名無し:2019/06/22(土) 20:47:08.16 ID:bXU39MlB0.net]