突然だが、俺の話をさせてほしい。
小学校二年生のある日、母に激しく叱られた。理由は思い出せない。ただ耳に残っているのは「お前なんかうちの子じゃない」という言葉。叫び声のようなそれに、胸の奥が冷えて、息ができなくなった。泣きじゃくりながら、母が仕事で使っていた赤いサインペンを手に取り、自由帳の破れたページに書きつけた。
『ほんとのおかあさんをさがします』
そう書いた時の震える手の感触を、今でも思い出せる。
気がつくと、俺は家を飛び出していた。両親は共働きで、俺は入学するまで母の職場の保育室で育っていた。そのおかげで電車の乗り方は知っていた。迷うことなく、家から数百メートル先のT駅へ向かった。母の勤め先と逆方向の電車に乗った記憶がある。切符を買うときの硬貨の冷たさも、改札の赤いランプも、不思議なくらい鮮明に覚えている。
その後の記憶は断片的だ。見知らぬ優しい女性に手を引かれ、海辺に立っていた。白い光に包まれた草原の中に立っていた。どちらが先でどちらが夢だったのかはわからない。ただ胸を締めつけるほどの眩しさと、泣きたいような幸福感だけが残っている。
そして次に目を開けたとき、俺は自宅の布団に寝かされていた。両親が顔をくしゃくしゃにして泣きながら俺にすがりついていた。母の頬に涙と鼻水が混じり、父の声は嗚咽で震えていた。
その後は、何事もなかったかのように時は流れた。学校へ行き、友達と遊び、成長した。中学、高校、大学、就職。普通の人生を歩んでいるつもりだった。
ただ、あの日から世界は微妙に歪んでいるように感じる。
母は人が変わったように優しくなった。怒鳴ることは二度となく、俺のわがままも受け入れてくれた。まるで別人のように。
三年前、母が亡くなった。遺品整理のとき、古い行李の中から数冊の日記を見つけた。恐る恐る読み進めると、俺が行方不明になった日の母の懺悔が記されていた。
『あの子にひどいことを言った。赤い顔で泣いて出ていった。探しても見つからない。どうか無事でいてほしい』
その文字の横に、一枚の紙切れが貼り付けられていた。そこには俺の字で、こう書かれていた。
『ほんとのおかあさんをさがします』
ただ、その文字は赤ではなく緑色だった。
確かに、あの日俺が使ったのは赤いペンだった。緑のペンなんて家にはなかったはずだ。喉の奥が焼けるように乾き、震える手で次のページをめくった。
日記は警察が動いたこと、近所の人たちが捜索に協力したこと、母が食事も眠りもろくに取らずに探し回ったことを綴っていた。ページをめくるごとに母の筆跡は弱々しくなり、行間には滲んだ涙の跡が散っていた。
最後に書かれていたのは、たった一言。
『発見』
そのページで日記は途切れていた。
俺が目を覚ました日のことだろう。日付を確かめると、俺がいなくなってから二週間が経っていた。
二週間。
俺は一日しか家出していなかったつもりだった。海に行った記憶も草原の記憶も、ほんの短い夢のような時間だったはずだ。
母の日記によれば、俺は十四日間、行方不明になっていたことになる。どこにいたのか、どうやって生き延びていたのか、その記録は一切ない。ただ『発見』の二文字だけが、俺をこの世界に引き戻した。
父は十数年前に亡くなり、親戚も少ない。母ももういない。誰に尋ねても真実はわからない。だが、あの日から俺の周りの空気はどこか変わってしまった。友人の顔、街の風景、空の色、どれも微妙にずれているような感覚がある。
例えば、小学校の入学式の記憶。体育館に飾られた花の色や、担任教師の声が、時折違うバージョンで思い出される。保育室での出来事も、細部が揺らいでいる。まるで二つの異なる世界の記憶を同時に持っているかのように。
そして母が亡くなった今、もう一つ思い出したことがある。
布団の中で目を覚ましたとき、泣いている父母の背後に、知らない女が立っていたのだ。窓の外から差し込む朝の光に透けるような白いワンピース。顔は霞んでいて見えなかったが、確かに俺に向かって微笑んでいた。
母が振り向いた瞬間、その女は消えていた。
あれは誰だったのか。あの海に連れて行ってくれた女性と同じ人なのか。
緑のペンで書かれた『ほんとのおかあさんをさがします』という文字は、今でも俺の頭から離れない。
俺は本当に、帰ってきたのだろうか。
それとも、あの日からずっと別の場所にいるのだろうか。
日記の最後の『発見』という文字を見るたびに、俺の背筋は凍りつく。あれは「俺を見つけた」という意味なのか、それとも――「別の俺を見つけた」という意味なのか。
今もなお、世界が微妙にきしむ音が耳の奥にこびりついている。
[出典:985 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/09/01(月) 14:44:15.16 ID:WqEJao/p0.net]