特殊清掃の仕事をしていたことがある。
死人の出た部屋をそうじすることもあれば、ペットの死体を処理することもあった。もっと軽いもので言えば、ゴミ屋敷の撤去。だが、そういう現場ほど、重たい空気をまとっていた。
最初に働き始めた会社は、そういう依頼を全部引き受ける業者だった。
ゴミ屋敷を片付けるにしても、地域によってはゴミを運び出す許可すら下りない。紙切れ一枚とトラックさえあれば取れる地域もあれば、どんなに足掻いても一般企業には絶対に認可が下りない地域もある。自分がいた場所は後者だった。
許可がないなら裏技を使うしかない。古物商や貨物運送の名目を借りて運び出す。正直、真っ黒に近いグレーゾーンだ。しかもそれは運び出すだけであって、処分先までは保証されない。会社ごとに闇のつながりを持っていた。
入社したばかりの頃は社長が必ず同行してくれた。あれは教育だったのか、それとも監視だったのか。
ある時、大きなゴミ屋敷の案件が入った。初日に資源やリサイクルできる物を仕分け、二日目に積み込み。二台のトラックが満杯になる頃には家の中は空っぽになっていた。作業が終わり、お客との精算が済んだ後、社長が俺に言った。
「今日はお前、処分に付き合ってもらうぞ」
嫌な予感がした。だが、返事をしないわけにはいかなかった。
他の従業員は普通車で帰り、自分は慣れない四トントラックを運転した。社長のトラックを追いかける形で。
最初は知っている国道だった。やがて細い道へ、さらに工業地帯へ。看板のない倉庫や、自動車修理屋のような建物が並んでいた。どれもが目を合わせたくない空気を放っていた。
その時、無線が鳴った。
「これから行く所、道は覚えなくていい。人の顔も名前も覚えなくていい。挨拶もしなくていい」
背中に冷たい汗が流れ落ちた。
さらに十分ほど走った後、右に折れると辺りは真っ暗になった。そこが私道であることに気づいた。社長のテールランプだけを頼りに進む。やがてブレーキランプが灯り、停車。エンジンを切ろうとした瞬間、また無線が入った。
「エンジンそのまま、降りなくていい」
返事をしようとした時、喉が詰まった。社長のトラックと自分のトラックの間に何かが現れたからだ。
老人達だった。二十人ほど。七十代くらい。髪はまばらに抜け落ち、服は破けてシミだらけ。男も女も混ざっていた。全員、無表情。
次の瞬間、俺のトラックが揺れ始めた。車体の外側にも、あの老人達が群がっていることに気づいた。慌てて鍵をかけ、無線で社長を呼んだが返答はなかった。
老人達は荷台を開け、中のゴミへ群がった。両脇へ投げ捨てるように放りながら、時折、生ゴミを奪い合い、奇妙な形の手で殴り合った。ゴミを投げている左右の空間はトラックのライトで照らされているはずなのに、そこだけは異様に暗かった。
涙が勝手に溢れ、額を膝に押しつけた。車体を揺らす振動と、ゴミを掻き分ける音が混ざって「おーん、おーん」と耳にこびりつく。
静けさで顔を上げると、一人だけ老人が残っていた。煤けた顔に歪んだ笑み。歯は一本もなく、口の動きだけで「ありがとうございました」と言ったように見えた。
老人が闇に溶けると社長のトラックが動き出した。ついていくうちに、やがて知っている国道へ戻った。
帰り際、社長が一言だけ言った。
「あそこは合法だから」
何が合法なのか、問いただす気力もなかった。ああはなるまい、と胸に刻んだ。
―――
それから二年が経ち、自分も現場責任者を任されるようになった。
ある休日、営業担当から電話が入った。市内の二階建て住宅で老人が首吊り自殺をしたという。特殊清掃と残置物撤去の依頼。
現場を見積もり、四人で三日あれば十分と判断した。作業員は気心の知れた先輩と、いつも外注で頼む年配のアルバイト。安心して段取りを組んだ。
初日、臭いは思ったほどではなかった。営業担当が見積もり時に窓を開けてくれていたらしい。二階の自殺現場に入ると、ドアの内側には黒とも茶色ともつかぬシミ。ドア上部にはヒモの擦れ跡。ノブは変形し、どのように命を絶ったかが想像できた。胸の奥に重たいものが沈んだ。
二日目は問題なく進んだ。先輩がシミを薬品で落とし、消臭をしている間に残置物を片付けた。
三日目、午前中でほぼ終了。昼食を買いに先輩ともう一人が出かけ、庭先で外注のおじいさんと二人残った。
雑談をしていると、おじいさんの顔色が急に悪くなった。脂汗を流し、やがて嘔吐した。背中をさすりながら声をかけたが、返答はなく、うめき声ばかり。救急車を呼ぼうとした時、口から奇妙なものが覗いた。
浅黒い縄の先端だった。
えずく度に、ロープが少しずつ吐き出される。五十センチほどの長さ。先端はぼろぼろに裂け、途中で切断されていた。
目の前でその異物を吐き切ったおじいさんは、青ざめたまま「知らない、知らない」と繰り返した。
すぐに先輩たちが戻り、様子を見て先輩が言った。
「なんか取ったろ」
おじいさんは怯えた顔をしたが、答えなかった。ポケットを探るよう命じられ、胸ポケットから聖徳太子の一万円札や指輪が出てきた。
「窃盗だぞ。二度と来るな」
先輩に突き飛ばされ、おじいさんは堀の向こうに消えた。
残ったロープのことは誰も口にしなかった。俺も言わなかった。社長に報告されたのは金と指輪の件だけ。
その夜、思った。
あの時、二百万円を盗まなくてよかった、と。
欲を抑えられた自分に、初めて安堵した。
だが――あのおじいさんの口から出てきたロープ。あれは本当に存在していたのか。幻覚ではなかったか。いや、たしかに見た。触れはしなかったが。
もし、あれが「盗みに手を出した代償」なら。俺の中にも、まだ潜んでいるのかもしれない。
あの闇の工業地帯で見た、無表情の群れのように。
そう思うと、今も時折、背中に冷たい汗が走る。
(了)
[出典:560 :本当にあった怖い名無し:2016/07/02(土) 15:22:36.22 ID:gNaAzMnV0.net]