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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

一度、受け入れられた nw+223-0114

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今でも、あのとき見た深海の青を思い出すと、胸の奥が静かにざわつく。

それは恐怖ではない。だが、安らぎでもない。
もっと厄介な何かだ。

数年前の夏、私は趣味のスキンダイビングで沖に出ていた。酸素ボンベは使わず、肺に溜めた空気だけで潜る、ごく軽い遊びだった。水面から一気に身体を沈めると、音は遠のき、世界は濃度を増した青に包まれる。十メートルほど潜ったあたりで、耳の奥がじんと痛み始めたが、それすら心地よかった。

上下の感覚はすぐに曖昧になる。
光が揺れている。
それが水面なのか、底なのか、よく分からなくなる。
ただ青だけが、均質に、どこまでも広がっていた。

そのとき、不意に大きな影が落ちた。

考えるより先に、衝撃が来た。
身体全体を殴られたような感覚。
視界が一瞬、白く弾けた。

音も、方向も、感覚も失われ、私は水の中で回転していた。何かにぶつかったのだと理解するまでに、少し時間がかかった。後で聞かされた話では、通りかかった漁船の船底だったらしい。

意識が戻った瞬間、肺が焼けるように痛んだ。
空気がない。
手足に力が入らない。

必死に水を掻こうとしても、身体は思うように動かず、沈んでは浮かび、浮かんでは沈む。そのたびに喉が痙攣し、視界の端が暗くなっていった。頭から血が流れ出し、青だったはずの海が、じわじわと赤く滲んでいく。

このまま終わるのだと、はっきり分かった。

その瞬間、不思議な感覚が訪れた。
恐怖が、すっと引いたのだ。

代わりに、身体が揺れている。
波ではない。
もっと大きく、規則的な揺れ。

誰かに抱えられている、そう思った。
大きな腕。
温かく、柔らかい。

目を開けようとしたが、視界はぼやけて定まらない。それでも、自分がどこかへ運ばれていることだけは分かった。引きずられるのではなく、抱かれている。落とさぬよう、慎重に。

やがて、身体の下に感触が生まれた。
硬い岩ではない。
弾力があり、ぬくもりのある何か。

次の瞬間、大波が来た。
身体が持ち上げられ、私は水面から引き剥がされるようにして、岩場の上へ打ち上げられた。

咳き込みながら息を吸った。
生きている、とそのとき初めて理解した。

全身を覆っていたのは、絡みついた大量の海草だった。
岩肌を覆い隠すほど密集し、私の身体を包み込んでいる。
鋭い岩に触れないよう、意図したかのように。

しばらく動けずにいると、海草がゆっくりと動き始めた。
一本、また一本と、私から剥がれ、潮に引かれて海へ戻っていく。

その様子を見ながら、私は奇妙な不安を覚えていた。
助かったという安堵よりも先に、
「役目が終わった」という感覚が、はっきり伝わってきたからだ。

まるで、私は一度ここに“留め置かれ”、
そして「返された」だけなのだと。

岩場に残された私は、しばらく海を見下ろしていた。
青は、先ほどよりもずっと深く、重たく見えた。

それ以来、私は海に潜れなくなった。
怖いわけではない。
だが、潜ろうとすると、胸の奥で同じ揺れが始まる。

あのとき感じた、抱き留められる感覚。
あれは救いだったのか、それとも――。

今でも時折、あの青が夢に出てくる。
夢の中で私は、再び潜っている。
光が消え、上下が失われ、
あの大きな影が、ゆっくりと近づいてくる。

目が覚める直前、いつも同じ感覚が残る。
呼吸はできているのに、
なぜか「まだ戻っていない」気がするのだ。

海は何も語らない。
だが、あの掌の感触だけが、今も確かに身体に残っている。

あれは、私を助けた手だったのか。
それとも、
一度、迎え入れただけの手だったのか。

私は、まだ答えを知らない。

(了)

[出典:773 :1:2009/07/12(日) 00:43:07 ID:CJ94Y43r0]

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