叔母から聞いた話だが、今でも頭から離れない。
夜道を歩いている時や、横断歩道で車が減速する瞬間に、ふとあの光景が割り込んでくる。思い出すたび、あの場所だけが現実から少しずれているように感じる。
当時、従兄はまだ小学生で、叔母はある横断歩道を気にしていた。見通しはいい。だからこそ車はスピードを落とさない。歩行者も安心して、ほとんど確認もせず渡る。事故は起きていなかったが、何度も危ない場面を見ていたという。
ブレーキの音と、焦げたゴムの匂い。怒鳴る運転手の影。なのに誰も轢かれない。
その「起きなさ」が、妙に引っかかったらしい。
帰り道、子どもたちはばらばらにその道を通る。危険だと訴えても、学校も役所も動かない。そこで叔母たちは、ひとつの手を打った。
横断歩道に花束を置いた。
まるで事故現場のように。
冗談半分だったが、効果は明確だった。車は止まり、子どもも立ち止まる。誰もがそこを「何かあった場所」として扱い始めた。
うまくいった、と叔母たちは喜んだ。
だが、変化はすぐに現れた。
横断歩道の上で、子どもが立ち止まるようになった。頭を抱え、しゃがみ込む。吐き気を訴える子もいた。理由は誰も説明できなかったが、同じ場所で、同じように起きる。
やがて学校が動き、遠回りの歩道橋が通学路になった。
不思議なことに、誰も文句を言わなかった。むしろ当然のように受け入れた。
叔母は花束を回収しに行った。
だが、それはもうなかった。
代わりに、もっと大きな花束が置かれていた。
誰が置いたのか分からない。共犯だったママ友も否定した。それ以来、叔母はその道を通らなくなった。
しばらくして、叔父が相談を持ちかけてきた。
叔父は徹底したオカルト否定者で、そういう話は一切信じない。だがその叔父が、珍しく言い淀んだ。
会社の人間から金を渡され、お祓いを頼まれたという。
場所を聞いたとき、叔父は黙った。
その横断歩道だった。
通るたびに妙な疲れを感じる。誰かが飛び出す予感というより、すでに起きたことを繰り返し見せられているような感覚。通り過ぎたあとも、サイドミラーを何度も確認してしまう。
そこに、何かがいる気がして。
同じことを感じているのは叔父だけではなかった。運転手たちも、同じ場所で同じ違和感を口にした。
お祓いは行われた。神主が来て、塩を撒き、祝詞をあげた。
それで何かが変わったのかは、誰も言わなかった。
叔父はその話を、それきり一度も口にしなくなった。
叔母に語ったのもその一度だけで、あとは何も言わない。横断歩道の前でも、視線を向けない。
ただ通り過ぎる。
今でも、あの場所のことを考える。
花束が置かれた理由は、最初ははっきりしていたはずなのに、途中から誰もそれを説明できなくなった。
あの横断歩道では、事故は起きていない。
一度も。
それなのに、あそこを通る車は必ず減速する。
そして、誰もいないはずの場所を、確認するように見ている。
叔母は最後にこう言った。
「最初に置いたのは、ただの花束だったんだよ。でもね、あそこに置いた時、もう……遅かったんだと思う」
いまも、その横断歩道には花がある。
誰が置いているのかは、誰も知らない。
ただ、あそこを通る人は、必ず一度、足を止める。
[出典:883 :本当にあった怖い名無し:2022/04/10(日) 08:25:37 ID:hYOaPwe40.net]