これは、数年前にある寺で働いていた時に体験した話だ。
当時の自分は、いわゆる就職浪人で、ほとんど家から出ない日々を過ごしていた。アルバイトをする気力もなく、毎日は同じルーティンの繰り返しだった。朝は遅く起き、テレビを眺めたり、スマートフォンを無目的にいじったりして時間をつぶす。
夜になると将来に対する漠然とした不安が襲ってくるが、それを振り払うように眠りにつく。そんな中、祖母が亡くなり、葬儀で世話になった寺の住職が近況を尋ねてくれた。素直に働いていないことを話すと、「それなら寺の掃除でもやってみないか」と声をかけてもらい、しばらく寺で手伝いをすることになった。
その日、住職は法要で外出しており、自分は本堂の掃除を任されていた。寺には時折参拝客が訪れるが、ほとんど静かな場所だ。掃除を始めてしばらく経った頃だった。廊下の曲がり角から鋭い視線を感じた。
背中に刺さるようなその感覚に慌てて顔を上げると、そこに一人の見知らぬ老人が立っているのが見えた。白髪で小柄な体つきのその老人は、無言のままこちらをじっと見つめている。視線は鋭いのにどこか焦点が定まらず、瞳がこちらを通り越して空間そのものを見ているような、得体の知れない異質な感じがした。
参拝客かもしれないと思いながらも、どこか妙な違和感があった。ただ、特に話しかけてくるわけでもなく、廊下の角からこちらを覗き込むだけなので、気のせいだろうと自分に言い聞かせて掃除に戻った。
しかし、その次の瞬間、本堂の障子の隙間から同じ老人が顔を覗かせていた。障子越しにこちらをじっと見つめるその視線には、何か執拗なものが感じられた。老人は眉をひそめ、口元を微かに動かしているようだったが、声は聞こえない。その動作はまるでこちらの動きを観察し、次の行動を読もうとしているかのようだった。
障子は開け放たれているのに、老人は中に入ることなく、体を隠すようにして顔だけを見せている。しかも、室内の温度が不自然に下がり始めた。季節は夏で、窓を開けていても蒸し暑いはずなのに、急激に寒気が体を包む。
恐怖を感じた自分は、住職に電話しようかと考え始めた。そんな時、不意に寺の奥から人の気配がした。振り返ると、普段は隣のアパートで静かに暮らしている老僧、先代の住職が立っていた。老僧は今年で八十歳になるが、この寺にはほとんど顔を見せない人物だ。
「玄関で呼んだが誰も返事をしないから、気になって様子を見に来た」と言いながら、老僧は仏壇に向かって一礼し、静かに何事もなかったように帰っていった。その背中を見送った後、ふと気がつくと、あの老人の姿はどこにもなかった。冷え切った空気も元通りの暑さに戻っていた。
夕方、住職が戻ってきた際、この出来事を話してみた。すると、住職は意外にも笑いながらこう言った。
「そういうのは無視が一番だよ。体を叩いて『シッシッ』と追い払うようにして、自分の相手をするつもりがないことをはっきり伝えるんだ。それに、そういうのは中に入ってくることはないから、できるだけ部屋の中にいるようにすればいい。」
さらに、住職はこんな話もしてくれた。
「廊下で子供が遊んでいる声が聞こえることもある。まあ、外の階段のほうで遊んでいる場合もあるけどね。」
それを聞いて、自分の背筋はさらに冷たくなった。あの老人だけでなく、寺の周囲には他にも何かいるのだろうか。
老僧がなぜその日に突然寺に現れたのか、お盆の法要の際に直接尋ねてみた。しかし老僧は、「ただなんとなく気まぐれで来ただけ」と笑って答えるだけだった。
それ以来、寺での手伝いは続けたが、あの老人が再び現れることはなかった。だが、あの時の冷気と、覗き込む目線の感覚は、いまだに忘れられない。先日、その寺に再び訪れる機会があり、ふと思い出したこの出来事をまとめてみた。
[出典:282 :本当にあった怖い名無し:2016/06/21(火) 02:26:05.26 ID:JIKKTENn0.net]