小学校五年生の春だった。五月、穏やかな陽気に包まれる頃、父は毎年のように鯛を釣るために船で沖へ出ていた。
朝早く、まだ薄暗い時間に出発する父を、私はいつも寝ぼけ眼で見送るか、あるいは気づかないまま布団の中でやり過ごしていた。だが、その日常のリズムが突然崩れたのは、あの出来事がきっかけだった。
その日はいつも通り、父が朝早く船で出かけた。夕方、母や弟と共に普通に時間を過ごしていたが、夜11時を過ぎても父は戻らなかった。
母は「たまにはこんなこともある」と言いつつも心配そうで、叔父を呼んで船着き場まで見に行くことになった。
港に到着すると、父の車はそこにあったが、船は見当たらない。母と叔父が不安げに話すのを聞き、私は胸が締め付けられる思いだった。「とりあえず明日、海上保安庁に相談しよう」という話に落ち着き、その日は帰宅することになったが、私の不安は募るばかりだった。
次の日、私は学校を休み、叔父を待ちながら父の無事を祈るしかなかった。
その時、不意に家のドアが開いた。そこに立っていたのは、疲れ切った表情の父だった。「水とラーメンと飯!」と間抜けな一言を放つ父に、私は涙ながらに飛びついた。
その時初めて気づいた。父の髭がやけに伸び、顔は汚れ、見るからに一週間以上船にこもっていたような風貌だった。そして父は、戻ってくるまでの不思議な体験を語り始めた。
父が沖で釣りをしていると、濃霧に包まれ、あらゆる計器が動かなくなった。
無線もつながらず、父は霧が晴れるのを待ちながら、船上で数日を過ごすことにした。食料と水を節約し、魚を釣りながらじっと耐えた。
そんな中、二日目の昼頃、霧の向こうに一隻の船影が現れた。それは前時代的な帆船で、父はそれを「宝船」と形容した。
宝船は父の船との距離を一定に保ちながら霧の中を進み、追いかけるうちに再び姿を消した。これが数日間繰り返され、やがて霧の向こうに陸影が現れた時、父はついに自分が戻ってこれたことを悟った。
父の話を聞いた私は、その真相を考えることもなく、ただ父が無事だったことを喜び泣いた。しかし、今振り返ると、この出来事はどうにも不可解だ。あの「宝船」は何だったのか。なぜ計器が一切動かなかったのか。
「お父さんには恵比寿さんがついちょる!」と豪語して、それからも元気に海に出ている父を、私は尊敬している。(弁天さんじゃないか!?とツっこんだ)
ただ、それ以来父は、船に醤油をつむのを忘れない……