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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

捨て場所 nw+412-0119

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もう何年も前のことなのに、未だにあの夜の記憶だけが、うまく言語化できずにいる。

思い出そうとすると、記憶の一部が水で滲んだ紙のように溶け、形を保たない。
仲間内では今でも笑い話にされるが、あれを笑って済ませられる感覚が、私には理解できない。

大学を卒業し、ようやく社会人としての生活が回り始めた頃だった。
夕方、学生時代の先輩から突然電話がかかってきた。

「メシ食ってる。今すぐ来い」

理由も説明もない呼び方だったが、その人は元からそういう男だった。
指定された居酒屋に着くと、先輩の向かいに見知らぬ女が一人座っていた。

髪は不自然に明るく、肌はファンデーションで厚く覆われている。
顔立ちそのものより、化粧の下に浮かぶ骨格の輪郭が、どこか噛み合っていないように見えた。
直感的に「近づくな」と思った。

先輩は軽く言った。

「あ、B子。知り合い。まあよろしく」

女は会釈だけをして、こちらをじっと見ていた。
その視線が、品定めでも警戒でもなく、ただ「確認」に近いものだったのが気になった。

何も起きなければそれでいい。
そう思って酒を流し込んだ。

翌朝、通勤電車の中で知らない番号から着信があった。
出られずにいると、三分おきに同じ番号が鳴る。十数回。
胸の奥がざわつき、駅に着いた瞬間に折り返した。

出たのは、B子だった。

「昨日のお店、美味しかったですねぇ」

感情の起伏が感じられない声。
用件を尋ねると、「ないですよ。でも話したいこといっぱいあるしぃ」と言った。

それから、電話は朝から晩まで鳴り続けた。
内容は天気、テレビ、コンビニの商品。
こちらの都合も反応も関係なく、話すことそのものが目的のようだった。

着信拒否をしても止まらなかった。
一週間後、非通知の着信が深夜に始まった。
公衆電話から、三分おきに。
違う場所から。
悪意というより、生活そのものに染み込んでくる何かだった。

私は二台目の携帯を契約し、旧端末の電源を落とした。
それで、終わったはずだった。

半年後、何となく古い携帯を起動した。
電源が入った瞬間、着信音が鳴った。

表示された名前は、「B子」。

怒りよりも先に、違和感が来た。
半年間、電源の入っていない端末に、どうやって。

通話ボタンを押すと、あの声だった。

「今日、暑かったよねぇ」

怒鳴ろうとしたが、言葉が出る前に話し続けられた。
焼肉を奢るから会おうと、自然な調子で言われた。
断る理由を考えているうちに、私は承諾していた。

店では、彼女は終始、同じ表情だった。
感情が動く気配がない。
ただ食べ、会計を済ませ、帰り際に言った。

「トイレ行きたい」

駅を勧めると、「電車賃しかない」と言う。
その言葉の意味を深く考えず、私は自宅に連れて帰った。

トイレから聞こえる音で、私は妙な安堵を覚えていた。
少なくとも、求められているのは私ではない。
そう思ってしまった。

彼女が帰った後、トイレのドアを開けた瞬間、息が止まった。
壁、床、便器の裏、天井近くまで、茶色い飛沫が広がっていた。
壊されたというより、塗られた感覚だった。

掃除をしながら、涙が出た。
汚れへの嫌悪ではない。
ここに「置かれた」感じが、どうしても拭えなかった。

明け方、コートを羽織ったとき、鼻を突く臭いがした。
背中に、粘つく感触。

その後、B子からの連絡は一切途絶えた。
先輩に聞いても、最初からそんな女は覚えていないという。

今でも、誰かと食事をするとき、背後が気になる。
あの女は、何をしに来たのか。
なぜ、私だったのか。

分からない。
ただ一つ確かなのは、あれは嫌がらせではなかったということだ。

あの夜、私は「捨て場所」にされた。
そして、それが成立した瞬間、彼女は用を終えた。

[出典:206 :本当にあった怖い名無し:2010/08/15(日) 00:39:45 ID:PPA+X27T0]

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