これは、旧友の坂本さん(仮名)から聞いた話だ。
坂本さんは中学時代、酷いいじめに遭っていた。周りの無関心さも手伝って、彼の毎日は暗闇に覆われていたらしい。教師も見て見ぬふり、家庭では両親が互いに別の相手と不倫中で、坂本さんの存在は忘れ去られたかのようだった。家にも学校にも安らぎはなく、坂本さんの身体は痣と傷だらけだった。表情も顔も、日に日に暗くやつれていった。
ある日、そんな疲れ果てた坂本さんは自ら命を絶とうと決心する。しかし、いざ死のうと思っても、ロープやナイフを用意する余力すらなく、もはや自分の学生鞄も傷だらけで、教科書もボロボロだった。そのまま家からふらりと外に出て、無意識に向かったのが、村にある「入ってはいけない場所」だった。そこは、地元のヤンキーすら近づかないような場所で、古くから奇妙な噂が絶えなかった場所だった。
周囲には何本ものロープが張り巡らされ、古い札が木々に掛けられていた。村の誰もが触れないその場所へ、坂本さんはふらふらと足を踏み入れていった。
道なき道を進むと、ふと開けた場所に出た。木々に囲まれ、薄暗いその場所は人の気配がまるでなく、まさに世界から切り離されたような空間だった。坂本さんは木にもたれかかると、疲労と絶望から眠りに落ちてしまった。
そして、夢とも現実ともつかぬざわめきが耳をつんざいた。まるで学校の休み時間に聞こえていたクラスメイトのざわめきのように、かすかな悪口や嘲りの声が辺りから聞こえ始めた。しかし、いつもとは少し違っていた。聞こえてくる言葉は「キモイ」「死ねばいいのに」といったものではなく、「なにあれ」「どういうことだ」と、戸惑いや嫌悪の気配を含んでいた。
夢の中でまで悪意を向けられることに絶望した坂本さんは、思わず声を上げて泣いた。その泣き声はどこまでも響き渡り、やがて耳鳴りがするほどの大声で泣き叫び続けた。目の前が暗くなり、体が震え、涙が枯れ果てるまで泣き続けた彼は、ついに気絶してしまったという。
気がつくと、見知らぬ人々が自分を取り囲んでいた。目の前には、村で有名な霊媒の力を持つ婆さんと、村の長老たちが立っていた。そして、驚くべきことに、あれほど坂本さんをいじめていた村の子供たちがそこに並び、みな青ざめた顔で震えていた。いじめの中心人物であった婆さんの孫もその場にいたが、いつもとは異なり、恥も外聞もなく土下座して泣きながら謝罪していた。
婆さんが坂本さんを見つめ、静かに言った。「あんたは森に歓迎されなかったんじゃ。あの場所に入ってなお、無事でいられる者はおらん。だが、あんたはその場で悲しみと憎しみを爆発させ、森のものを苦しめてしまった」
驚くべきことに、坂本さんが叫んだ声は、森の“何か”を傷つけ、怒りを買っていた。婆さんによれば、森の精霊や霊的な存在にとって、坂本さんの「声」には何か特別な力があり、それは森の「中の人々」を苛立たせるものであったという。まるで、彼の泣き声が霊的な力を引き寄せ、周囲に影響を与えるかのように感じたと、婆さんは語った。
その後、坂本さんの周りは一変した。今まで無視していた教師たちまでもが謝罪しに来た。彼をいじめていたクラスメイトたちや、無関心だった両親までもが、頭を下げ、涙ながらに謝罪した。まるで坂本さんの存在が彼らを恐怖で圧しているかのように、皆、腫れ物に触るような態度をとるようになった。
やがて坂本さんは、婆さんに呼ばれ、再び村の有力者たちの前に立たされた。そして告げられたのは、あの森からの「伝言」だった。
「もう二度と来るな。お前の声は不愉快だ。次はない。気持ちが悪い」
伝言を伝える婆さんの表情には微かな苦笑が浮かんでいたが、その言葉の一つひとつは容赦なく、坂本さんの心に突き刺さった。どうやら彼の声には「何か」を呼び寄せ、そして「何か」を圧する力があるらしい。しかし、それを持つ坂本さん本人は何も感じず、むしろ普通の人間以上に霊的な存在を引き寄せやすい体質であるとのことだった。
それから坂本さんは村を離れ、都会で新たな人生を築いた。だが、年老いた両親の頼みで一度帰郷することになった。そして、彼の幼い娘とともにあの村に戻った時、再び不気味なことが起こった。車であの森の前を通りかかった時、五歳の娘が突如ギャン泣きを始めたのだ。
「イースが怖い顔で見てた」
娘の言葉に寒気が走り、坂本さんは妻に娘を預け、そのままその場を去った。二度とこの村には戻らないと心に決め、彼は都会の自宅に戻った。
後日談
その後、坂本さんは不思議な方法で周囲に安らぎをもたらす「力」に気が付くようになった。ある時、幽霊が出るという格安物件に移り住み、家中で毎日歌い続けていたところ、いつの間にかその場所は何の異常もなくなっていた。霊感は一切ないが、不動産業者も驚くほど、まるで浄化されたかのように建物の雰囲気が変わったのだという。
坂本さんは現在、平穏な日々を過ごしている。「森の中の人」から与えられた不思議な力と共に。彼は笑いながら言った。「結局、見えないものよりも、人間の方がよほど怖いよ」と。
彼は自分は何も変わらないが、周囲の人々の態度が百八十度変わったあの経験こそ、人生で最も恐ろしかったと語った。
(了)
[出典:730: 2011/08/27(土) 18:03:29.77 ID:eKz1w9J/0]